5日間にわたる外語祭が終わり、明日からはまた授業の日々が始まります。特に1年生からALへの悲鳴が聞こえてきます。祭の後の寂しさを感じさせてすらくれないのが外大クオリティですね。


どうも、演出兼役者をしておりましたチロルと申します。
2018年度外語祭公演「壊れた風景」、全4公演無事に終了いたしました。ご来場いただいた皆様に心より感謝を申し上げます。

この公演、実は自分史上最も不安な状態で本番を迎えた公演となりました。なんといっても役者みんなセリフがなかなか覚えられない。別役実作品特有の指示語だらけのセリフに惑わされて、ミスなく通すことすら危うい状態でした。
しかし、いざ本番になってみると、ミスがなかったとは残念ながら言えませんが、役者それぞれがお互いをカバーし、全員で乗り切ろうという強い気持ちで劇を最後までやりきることができました。この難しい脚本に真剣に取り組んでくれた役者のみんなには感謝の気持ちでいっぱいです。



以下、作品のネタバレが含まれるので注意です↓












「壊れた風景」という作品は、無責任な登場人物たちが作り出す集団心理の波に飲まれ、徐々に収拾がつけられなくなってしまう様を描いた作品だと個人的には思っています。初めは他人のものだと遠慮している人たちが、「他の人が責任を取ってくれる」「みんなでやってるんだから平気」と次第に他人のものを自分のもののように扱っていく様子は、異常でありながらどこか滑稽に映ります。最終的にはピクニック場を用意した家族が死んでしまったことによって誰が責任をとるという話ではなくなってしまったところで話が終わりますが、もしあれが現実に起こった場合、どうなるんでしょう。

流石に誰のものかわからない食べ物を摘んだらそれが死んだ人が用意したものだった、なんて経験はそうないでしょうが、責任の所在が誰にもわからないにも関わらず、何かしら収拾をつけなければいけない場面というのは世の中にごまんとあると思います。その時、私たちは理不尽に降りかかる責任を受け入れるのでしょうか。それともあくまで自分は無関係だと責任を他人に押し付けるのでしょうか。


世の中には、明らかに所在がはっきりしている責任を難癖つけて取ろうとしない人間もゴロゴロいます。そういう人がニュースで取り上げられることも多いです。その中でも、「この劇の中に出てきた人たちみたいにはなりたくないね」と友人と何度も話しました。この劇を観た人たちが、同じように「こんな無責任な人たちは嫌だ」と思ってくれたなら、私の演出としての仕事は概ね成功だったと思っています。皆さまいかがだったでしょうか…?




最後に、この公演に関わってくれた全ての皆様に心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。
2月には外語祭公演で活躍してくれた1年生を中心とした新人公演が控えています。次回公演まで少し日が開きますが、心に留めておいていただけたら嬉しいです。