この権利は、ある人々の自律のために作られたにもかかわらず、まさにその当人の利益になっていないのだから。この主張が退けられたとしてもなお、この権利が創造されたならば、実質的には患者にではなく医者に生死の判断を下す権限を与えることになるかもしれない。もしこの経験的予測が正しいと判明した場合には、卓越主義の観点からみて、医師に輔助された自殺の権利を創造することには種々の重大な問題があるのである。この例は簡単に一般化できるだろう。人が自分の熟慮的自律の範囲内だと考えて下す決断には、結果的に自分の幸福を促すどころか蝕んでしまうものが多く含まれる。限定合理性はそのような障害になりやすい。ある文献は、人が自分自身の生活上の決断の効果について判断を誤ったときに生じる「感情予測」の失敗について詳細な検討を加えている。間違った欲求によって下された決断を憲法で保護することは、それが人を幸福にしない選択である以上、その決断の保護が問われている当人の利益にかなうとは思えないだろう。おそらく、幸福ではなく自律が、われわれの導きの星であるべきなのだ。