訪タイ中の方々の日本のご家族、同僚の安否確認を最優先としながらも、ようやく実家に電話が繋がったのは日本時間11日の22時。
僕の実家があるところは、NHKニュースでは震度3とも震度6強とも報道されていながらも県域テレビ局がないためなのか、被害状況が一向にわからずに気が気ではなかった。
被災後、初めて耳にする母の声を聞いた時は、図らずも、
幼な子の気分になりました。
きくところによると、仏壇、タンス、家の中のあらゆるものをナギ倒した第一波の最中にテレビも消えてしまい、さらには防災グッズ箱のラジオも受信状態が悪いらしく、となりの東北地方各地の映像を今でも知らない。
電気も水道も遮断されたまま、新聞すらも配達されず、臆病者のチワワとともにロウソク一本で二日目の夜を迎えている。
上の写真はネット上で見かけたAP配信による実家近辺の写真。
今となっては悪質な拷問としか思えない高校球児時代の<砂浜のウサギ飛び>の苦悶を共有した長年の悪友は半壊した家屋が全壊の危険もあるので車の中で夜を過ごしており、ヒトがせっかく心配しているというのに、
「親子四人でスローバラードだよ」
などとホザいては、僕を笑わせようとしていた。
また、僕をローリング・ストーンズづけにしてくれたイトコとは、今朝、電話が通じたのだけれども、こうした不安な時間を過ごしているのは僕の身内だけではなく、東日本だけでも何百万人もの方々がそれ以上に過酷な環境におかれているのだと思います。
このブログにアクセスしてくださる方々が昨年のタイ騒乱時や、僕の病気を心配してくださったように、僕もまたドコカで日本の方々とはつながっているつもりです。