ローリング・ストーンズ野郎の雑記 -28ページ目
ローリング・ストーンズ野郎の雑記

「ギースさん得意の、「日本の女優でいえば●●●●顔のタイ人」というのは、まず似ていたタメシがない」

と糾弾する友人も唯一認めてくれた、武井咲顔の中華まん屋の看板娘
上の写真は、大学の試験も終わって一息ついた(かのような)看板娘がつくった月餅。

僕はキンツバやモナカのようなミッシリとしたアンコ菓子が苦手なうえに、タイに来てからはタマゴがそのまま入ってる本場中華風の月餅にはなおさら指が遠のいていたのですが、コレを作ったヒトが武井咲顔という付加価値をヌキにしても、コーヒーのおともにスンナリ喉を通りました。
ゆうべし風な中身でした。

ちなみに、一般人でありながら、ナニかのセレモニーで武井咲と同じステージに立ったことがある東京の友人に、

「ギースさんはやっぱり外国暮らしだね。あれは、タケイエミって読むの。サキじゃないよ」

と先日、おしえてもらいました。
勉強になりました。

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高名な政治家からオートバイ配達員まで、今まで様々なタイの葬式に参列してきましたが、服装は日本のように黒の上下に黒ネクタイが基本でも、黒のティーシャツ姿も少なくない。

そんなことにはもう違和感は覚えないのだけれども、韓国式の鳴き屋サンとか、日本的な「しめやかに執り行われました」とは程遠い雰囲気のお葬式も珍しくありません。
もちろん、シクシクし続ける参列者の姿もあるのですが、僕は後ろの席の参列者に、

「ガイ君さぁ、あん時、クス玉割りで大チョンボして、オッサンに思いっきりドつかれたまま会社に来なくなったのに、よくココに座ってるよな~」

と10年以上も昔の話をムシ返すとイヤな顔をするどころか、隣の男といっしょにゲラゲラ笑い出すので、

「ダム君だって、「準備万端」といってた鳩が飛ばなくて、完成したばかりの体育館の屋根をフンだらけにしたじゃないか」

と諌めたり。
しかし、クス玉がそのまま来賓の頭部を直撃した事件はまだカワイイほうで、地方の幼稚園開園記念で飛ばした何百もの風船のタバが高圧電線にからまって近隣一帯を半日にわったて大停電に陥れた事件で僕達が騒乱罪で逮捕されずにすんだのは、オッサンの政治力のおかげだったと今でも感謝しています。

思い起こせば、でっかいスーツケースひとつでドンムアン空港に到着した僕を、オッサンが空港で迎えてくれた日が、18年前の10月6日でした。
あの時は、「タイにいるのは3年」のハズだったんですがw
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9月帰国の日程調整もままならぬうちに11月東京が本決まりになって、それがタイ版よろこび組の中でもとびきりの美人サンの初訪日の道案内なのだから、モーチベーションが上がらないほうがどうかしている。

同行の方々から「2月の時はそんな細かいことまで、たずねてこなかった」「買い物はマツキヨでじゅうぶん、と言ってた」「ギースさんのエコヒイキは見るにたえない」と後ろユビをさされながら日程を組み立てているところに、東京の友人が持ってきてくださったのが、上の写真の手帳
モレスキン型の留ゴムがアレですが11月はじまりの日程帳ということで、2012年版の高橋手帳はすでに巻末までハシリ書きだらけのメモ帳と化していただけに助かっています。

ローリング・ストーンズ野郎の雑記
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年次2回~3回開催のイベント事業者の大型国際会議で親しくなった北京の中国人と、今回はなかなか会話を交わす機会がないので、

「ははあ。やっぱり、今はアレがあるからなあ」

と考えはじめようとしたところの昨日の朝、「ナイス・トゥ・シー・ユー」と握手を求めてきたので、ネタにはなりませんでした。
しかし、夕食時に、面識のあるタイ人通訳氏が、「アイランズの問題で日本人の意見をききたい、と言ってる中国人参加者がいるんですが、同じテーブルに座りませんか」などと言ってきたので、

「アナタにはそれを通訳できるだけのノウレッジがあるんですか」

と訊き返したところ、「フヘヘへ」で終わってしまいました。
それでも同じテーブルについたのだけれども、国際会議の場に広東語オンリーの名刺を持参して、英語をまったく話そうとしないヒトが、日本の民間人の意見をきいて何をスルつもりだったのだろうかw

「日本人なのに、どうしてローリング・ストーンズが好きなんですか」

のような質問ならば、タイ人通訳氏にストーンズの知識がなくとも、ベラベラ語ってあげたのですが。
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バンコク中心地のホテルで再びカンヅメお仕事が始まった日に突然、タイ生活の第2部が終わりました。

実際には、こういう日が来ることは遅かれ早かれ想定していましたが、よりによって全くが身動きが取れない時に、僕がタイに移り住むことになった直接のキッカケをつくった人物が亡くなった。
僕はたまたま多少はタイ式冠婚葬祭に長じていたこともあり、大学病院によるご霊体確認、日本大使館への届出、納棺、寺での安置、各方面への連絡はトドコオリなく済んで、あとは息子さん(お母さんも若くして故人)とともに通夜と告別式で見送るだけ。

そんな具合で、最期の最期まで僕をふりまわしてくれたオッサンでしたが、積年のウラミツラミもいつのまにか消えていました。
それとも、そんなものは最初からなかったのかな。