どんなに弱くても、けっして、ぼやかなかった男 | ローリング・ストーンズ野郎の雑記

5日のプロ野球オープン戦阪神対広島は、昨年12月に他界された島野育夫氏 の追悼試合でもあった。


天国の恩師に見てほしい!金本、島野氏追悼試合出場を直訴 (「サンケイスポーツ」3月5日)
そして、
【阪神】金本が追悼アーチ (「日刊スポーツ」3月5日)

島野氏といえば、昭和51年の年明けに当時の翳りが見えていた大エース江夏らとの交換で南海ホークスからエモヤンたちとともにタイガースにやってきた。


南海時代は守備のベストナインに連続して選ばれ、川に飛び込もうとする老人を助ける役で「あぶさん」にも登場したことがありましたが、阪神時代はコレといった活躍はなく引退。

しかし、コーチ時代の1982年に、対横浜大洋戦のファール判定をめぐって審判を殴打し、その光景は関東地方でもテレビ中継されていたこともあって、全国区のヒトとなってしまった。
高名な新聞紙上では島野コーチは「まるで暴力団員」とまで叩かれて、永久追放寸前にまで追いつめられた。

そうした大前科の影響なのか、92年の一度だけの阪神大躍進に島野コーチの存在があったことはあまり語られることはありませんでしたが、ここ数年の阪神再生における島野氏の貢献に異議を唱える野球ファンはいない。


「野球場のヤクザ」が、最後は多くの野球人に惜しまれながら、名軍曹、名参謀、名伯楽、オヤジとして生涯を終えた。

昨シーズン終了後にフリーエージェント宣言した39歳下柳がメジャー挑戦の最後のチャンスを取り下げ、阪神に残留したのは、「亡き島野コーチの恩に報いたい」という心境の変化もあったのだそうです。
バンコク在住10ン年もそうした人情話が大好きな僕は、今年も阪神を応援します。