【読書記】小松左京・谷甲州「日本沈没第二部」 | ローリング・ストーンズ野郎の雑記

小松 左京, 谷 甲州

日本沈没 第二部


執筆開始から四十二年後の完結?編は、二段組の四百七十八ページ。


本書「あとがき」を読むと、小松左京氏は「体力的にも自ら執筆するには不可能になっていた」と語っている。
僕は、荒唐無稽の空想物語でありながら「実は浪花節」な小松文化論が好きなので、谷甲州氏らが補佐していることには一抹の不安もあった。
その不安はラスト二ページ半に及んで現実のモノとなってしまうのだけれど、ソレが谷氏のアイデアなのかは実際にはわからないので、大騒ぎはしません。


第二部は、日本が海面下に沈んでから二十五年後のストーリー。
第一部では「開設してまもない成田空港」が出てくるので、第二部のスタートは西暦二〇〇四年あたりの時代設定だろうか。


日本沈没時の火山活動で徐々に異常気象が始まり、近い将来、地球が凍りつくことが判明。
日本人の総力を結集して人類を救うべし。


というのが、物語の大筋。


要所要所で、難民化した日本人の苦労、五星紅旗国家の横暴や星条旗国家の欺瞞なども描かれているが、日本政府内でも「日本人の将来」と「国土再建」をめぐって総理大臣と外務大臣が対立。
若い頃はバックパッカーでならした首相は「日本人としての誇り」にこだわり、出張程度の外国経験しかない外相は「個人の意思で帰属社会を選べばよい」と突っぱねる。
二人の会話は右・左の対立ではなく、「どちらも正しい」または「水掛け論」の平行線なのだけれど、こうした禅問答を読者に与える趣向は「復活の日」にも見られる左京節。


第二部には、第一部の主要人物も再登場。
第一部上巻では客の名前を正確に憶えようとしない新人銀座ホステス、下巻においても身勝手な厄介者でありながら、最後の最後で強烈な存在感を漂わせる摩耶子。
文庫版解説者に指摘されるまでもなく、シベリアを走る難民列車内で八丈島丹那婆伝説を語る摩耶子の、「自分なら、こうする」の自問自答こそが「日本沈没」の骨頂だ、と解釈していた読者は多いのではないだろうか。
第二部で語られる「摩耶子のその後」は、小野寺が号泣し、「小野田」と名乗り続けることで救われているけど、もう少し、別の書き方もあったんじゃないのかな、とちょっぴり残念。


小松 左京

日本沈没 上 小学館文庫 こ 11-1


小松 左京

日本沈没 下 小学館文庫 こ 11-2