僕がメルボルンにいた頃、父親が「新聞ダイジェスト」という雑誌とともに、「ホットドッグプレス」という若者向けの雑誌を毎号送ってくれた。
インターネットもEメールもなかった頃、ファクスもまだ一般的ではなかった頃の海外生活、日本語娯楽。
その雑誌の中で永倉万治氏は抱腹絶倒なエッセイを2本同時連載していた。
マル貧・マル金、ネクラ・ネアカという表現が流行った時代の、若者たちの背高ミエッパリ人生をホノボノと書き綴っていた。
その軽妙な文体が評価されたものなのか、やがて、永倉氏は短編作家としても活躍。
どの著作も、夏目漱石「三四郎」が現代に蘇えったかのようなオモシロさだった。
「みんなアフリカ」は永倉氏の名著の一冊、短編集。
刊行は1989年。
しかし、その年の3月に、永倉氏は四谷駅で脳溢血で倒れた。
生死をさまよい、数日後にベッドの上で盛大に排便している最中も昏昏としていたらしい。
その後、不屈のリハビリで復活し、コンスタントにエッセイ集や小説を発表。
「大熱血闘病記」「大青春」「晴れた空、そよぐ風」、その他たくさん。
でも、この10年間、僕はわずかに独りでヒマな時は酒を飲んでるか下手なゴルフのマネ事のどちらかだったので、本を読むということをしなくなった。
そういう不摂生な生活の中間回答なのか、昨年11月に僕は病気に直面したけれど、幸いにも四谷駅で永倉氏を襲ったモノほど深刻ではない。
が、手元にはもうないけれど、他人ゴトのように読んでいた永倉氏のリハビリ記を漠然と思い出すことも、精神的リハビリのひとつだった。
「死にたい」「苦しい」「なんとかしてくれ」みたいな内容はまったく書かれていなかった印象が残っている。
「今、何してるのかな?」「新しい本は?」と調べてみて、絶句。
すでに永倉氏は2000年10月に脳幹出血で他界していた。
新聞でもネットでもその訃報を伝えているが、僕はその記事を目にした記憶がなかった。
いまさらながらの追悼をこめて、奥様が書いた本をとりあえず注文してみよう。
アマゾン内ユーズド商品は東南アジアには送ってもらえないので、ビーケーワンの方が納品が早そうだ。
