六地蔵大善寺<235日目 六地蔵で祈る(3)> | ゲイムマンの日本縦断紀行

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ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を公開中。

六地蔵('19.12.18)

 

 


引き続き、大善寺。
近づくと、正面向かって左が六地蔵堂、右が千手観音堂だった。

 

大善寺は705年(慶雲2年)、藤原鎌足の子、定慧が創建したと伝わる。
地蔵堂の地蔵菩薩立像(重要文化財)は、852年(仁寿2年)に小野篁(おののたかむら)が作ったとされる。

 

小野篁は実在の人物だが、京都・東山の六道珍皇寺にある井戸を通って、この世とあの世を行き来できたという伝説がある。
あの世では閻魔大王のもとで役人をしていたとされる。

 

大善寺の説明板によると、篁は熱病で倒れた際にあの世を見て、地獄で苦しむ人々を救う地蔵菩薩に出会った。
地蔵菩薩は篁に、
「六道を巡って、縁のある人を救っているが、縁のない人を救えないのが残念だ。どうか地獄の苦しさと、この地蔵のことを人々に知らしめてほしい」と頼む。
篁は回復後、桜の木から6体の地蔵菩薩像を刻んで、この寺に納めたそうだ。

 

1157年(保元2年)、後白河天皇の勅命を受けた平清盛が、西光に命じて、京都の街道の入口6ヶ所のうち、ここを除く5ヶ所に六角堂を建てさせ、それぞれにこの大善寺の地蔵菩薩像を1体ずつ安置した。
その後、この6ヶ所を回る「六地蔵巡り」が行なわれるようになる。

 

(なお、西光は後に清盛と対立し、平家打倒の「鹿ケ谷の陰謀」の首謀者とされて殺された人物。
もっとも、保元2年の時点では、まだ出家してなかったはずだが……。
ただし、間に入ったのが清盛ではなく、後白河天皇の側近の信西だったら、西光は信西の家臣なので、ありえなくはないかもしれない)

 

鐘楼は東福門院(徳川秀忠の娘で、後水尾天皇の中宮)が、安産祈願成就のお礼として寄進したもの。

(……にしては建造年が1665年(寛文5年)で、東福門院の子供たちが産まれてから30年近く経っている)

 

お地蔵様にお参り。
隣の観音様にも。

 

右手にある、工事中の建物が本堂だった。
外から参拝。
大善寺は浄土宗で、御本尊は阿弥陀如来。

 

先の事件で亡くなられた方々のご冥福と、負傷された方々の回復を祈った。

 

本堂の前に、小さくてかわいらしい六地蔵様。

 

大善寺を後にする。
入口に掲げられていた書。
「渡し船ありとも知らで過ぎにけん
乗れと教うる声なかりせば」

 

道をさらに先へ進み、奈良線の線路をくぐるとすぐ、昨日のイズミヤに出た。

また2階のプレイランドに行き、「太鼓の達人14」をプレイする。

 

昨日と同じ3曲。
「止マレ!」
「もってけ!セーラーふく」
「ハレ晴レユカイ」を、ふつうモードでクリア。
ゲーム路銀 ¥1,940-¥100+¥300=¥2,140

 

雨がやんだ。地下鉄の六地蔵駅へ。
次回のスタート地点まで進んで、今回の旅は終了としよう。

 

午後1時22分発の太秦天神川行きに乗る。

 

1時26分、2つ先の醍醐駅で降りた。
ゲーム路銀 ¥2,140-¥220=¥1,920
車内アナウンスのイントネーションは、「DAIGO」や「大悟」ではなく、「第五」みたいに平板。

 

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