長浜('18.2.7)
引き続き、長浜鉄道スクエア。
活魚車の模型。
敦賀市や南越前町の写真(敦賀は国際港として重要だった)。
SL時代の特急つばめを動かす人々の記録映画。
長浜鉄道文化館、後半の展示は北陸本線の歴史について。
戦中から戦後復興期にかけて、輸送力がひっ迫した北陸本線では、複線化や長大トンネルの建設によって、状況を改善していった。
1957年(昭和32年)、長距離幹線では、日本で初めて交流電化された。(仙山線がテストを兼ねて交流電化されたのに次いで)
交流は高圧で電気を送れるので、変電所などの地上設備を少なくできた。
また当時は直流車両よりも交流車両の方が、車輪の空転が起こりにくかった。
ただし、直流の東海道本線との接続が難しく、当初は米原・田村間が、蒸気機関車での接続だった。
その後、走行中に交直流を切り換えられる機関車と電車が製造され、問題は解決された。
1991年、交直流切換の地点が、長浜・虎姫間に改められ、大阪方面から長浜まで、直流電車が直通できるようになった。
2006年にはさらに敦賀までが直流となり、湖西線との接続もスムーズになった。
ホーローの柱用駅名標と、古い時計が展示されている。
時計はただの展示物かと思ったら動いてた。
1900年前後に製造されたアメリカ製の時計だそうで、七尾線西岸駅で使われていたそうだ。
西岸駅は現在、のと鉄道の駅。アニメ「花咲くいろは」湯乃鷺駅のモデルとして知られる。
企画展として、明治から昭和初期にかけての、絵すごろくが展示されていた。
大正時代の鉄道双六や、昭和初期の長浜の商店双六、当時急速に発展した飛行機の双六。
仏教双六や軍人双六などもあった。
2階にはHOゲージのジオラマ。現在の長浜駅舎がよくできてる。
なぜか車両がサンライズ。
北陸線電化記念館。
入っていきなりED70の1号機が目の前にドーンとあって、圧倒される。
ED70は、田村・敦賀間の電化にあたって製作された、最初の量産型交流機関車。
この車両が、日本で唯一の現存車両。
隣にはD51。
複雑な足回りが間近で見られる。
長浜観光協会 びわこビジターズビューロー(滋賀県)
JRおでかけネット(JR西日本) JR東海 近江鉄道
※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」&地図はこちら。
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