米原(まいばら)('16.4.23)
さらに東口では、近江鉄道の停車中の電車を見ることができた。
カラーリングが明らかに西武。この800系は西武401系を改造したものらしい。
西武鉄道を大手私鉄に育てた堤康次郎氏は、近江鉄道沿線の愛荘町出身。
米原駅は鉄道唱歌では、
山はうしろに立ち去りて 前に来(きた)るは琵琶の海
ほとりに沿いし米原は 北陸道の分岐線
とうたわれている。
駅から東へ歩き、青岸寺を目指す。
正調飛び出し坊や。
旧米原尋常高等小学校の、大きな木造校舎が目立つ。
青岸寺は南北朝時代、佐々木(京極)道誉が創建した(当時の寺号は米泉寺)。
後に本尊の聖観音像のみを残して焼失したが、1650年(慶安3年)、要津守三和尚が、伊藤五郎助の協力を得て再建。
ちなみに佐々木道誉は、室町幕府初期の権力者で、既存の体制を嫌って派手な振る舞いをする「婆娑羅(ばさら)大名」として知られているらしい。
私は知らなかった。
拝観料¥300。ご本堂でお参りした後、廊下から庭園を眺める。
大きな石を数多く配した枯山水。
枯山水といっても砂や砂利ではなくて、苔を水に見立てているのが特徴的。
山のいちばん上に、三尊像に見立てられた三尊石が立つ。
庭園は、守三和尚による寺の再建時に造られたが、彦根に楽々園が造られた際、ここの庭石が転用されたことで一時消滅した。
しかしその楽々園を造った香取氏に依頼して、1678年(延宝6年)に新しい庭園が造られ、それが現在まで残っている。
少しだけ咲いたツツジが、アクセントになっている。
左手の書院「六湛庵」(ろくたんあん)は、明治時代に永平寺64世貫首、森田悟由禅師が増築したもの。
渡り廊下を通って、六湛庵から庭を眺めることもできる。
※「六湛庵」の「庵」は、正確には今、酉、皿を上下に重ねた文字。
六湛庵から見た客殿と本堂。
静かで素朴(とはいっても凝った造りの庭なのだが)。落ち着いた雰囲気。すぐそこに新幹線が止まるような場所とはとても思えない。
雨が降ると、苔のところに水が溜まって池になるらしい。
天気や季節によって、いろいろな姿を見せてくれそうだ。
米原観光協会
JR東海 JRおでかけネット(JR西日本) 近江鉄道
※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」&地図はこちら。
第210回 神代の頃から水は流れる(醒ケ井→米原→長浜)
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第209回 かつてB級スポットだった所(関ケ原)
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第208回以前
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