醒ケ井(さめがい)('16.4.23)
そしていよいよその隣が居醒の清水だ。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の像が建つ。
古事記や日本書紀によると、ヤマトタケルが伊吹山の神の猪(または蛇)と戦った際、敗れて体調を崩したが、この地の水を飲んで回復した。
以来この水は「居醒(いさめ)の清水」と呼ばれている。
しかしヤマトタケルの病気は再び悪化し、今の三重県亀山市の能褒野(のぼの)という所で亡くなったという。
ただし、ここの案内板に書かれた説明は少し違っていた。
蛇は山の神ではなく、山に棲みついて旅人を困らせていた大蛇で、景行天皇の命を受けた日本武尊がこの蛇を切り伏せる。しかし蛇の毒を受けてしまう。
やっとのことでこの地にたどり着き、体を清水で冷やすと治ったそうだ。
素人考えだが、当地に伝わるこういう伝説が、各地の英雄伝説と統合されてヤマトタケルの一代記が作られた際、前後の話と合わせるために、古事記や日本書紀にみられるような形に変わったのかもしれない。
日本武尊の腰掛石、鞍懸石もある。
ヤマトタケルは馬で来たのか。
加茂神社の鳥居の前に、
居醒の清水が湧いていた。
こんこんと、まさにコンコンと音を立てて湧き出ている。
清水の所にある石を「蟹石」という。
日本武尊より300年くらい後の雄略天皇の時代、天皇の使いの者が三尺余りの大ガニを捕らえて、ここに入れたら石になったという。
ゆらゆら揺れる藻が優雅。
居醒の清水は、神代の頃から湧き続けて、ヤマトタケルの時代、雄略天皇の時代、最澄の時代、西行の時代、和宮内親王の時代、東海道本線が開通した時代、そして現代まで歴史を重ねている。
神代の頃の醒井がどういう景色だったかなど、とても想像がつかない。
ただ、水が現在と変わらず湧いていたことだけがわかっている。そう考えると不思議。
石段を上って、加茂神社に参拝。
社殿は1960年(昭和35年)に建てられたらしい。
今もすぐ横の道路を、車がビュンビュン通っているが、この道が名神高速道路で、この道路を建設する際に、神社が移転してここに来たのだそうだ。
神社の移転といえばおおごとだが、それもまた歴史の一幕。
そしてこの地は東山道以来、今でも主要な交通路。
12時半を回った。駅まで戻ろう。暑くなってきたのでトレーナーを脱ぐ。
※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」&地図はこちら。
第210回 神代の頃から水は流れる(醒ケ井→米原→長浜)
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