御木本幸吉記念館 <186日目 真珠の島と海の生きもの(5)> | ゲイムマンの日本縦断紀行

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ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を制作・配信中。

鳥羽('14.4.10)

御木本幸吉記念館(186-20)
引き続きミキモト真珠島。
御木本幸吉記念館へ。

ここでは御木本幸吉の生涯について、解説されている。
幸吉は1858年(安政5年)、現在の鳥羽市で生まれる。
実家はうどん屋・阿波幸(あわこう)。
20歳のとき横浜で、志摩の真珠が高値で取り引きされていることを知る。
(当時の真珠は「ケシ」と呼ばれる小さな物だった)

幸吉はアコヤ貝の養殖を行ない、次いで英虞(あご)湾と相島(おじま)で真珠の養殖を試みるが、なかなかうまくいかない。
その上1892年(明治25年)、赤潮が発生し、英虞湾で育てていたアコヤ貝が全滅してしまう。
しかし翌年、相島で育てていた貝から、養殖真珠が5個見つかった。
(半円真珠。丸い真円真珠が作れるようになったのは1905年から)
この相島こそ、ここ、現在の真珠島である。

1896年(明治29年)、苦しい時期に幸吉を支えてきた6歳年下の妻・うめが32歳で亡くなる。
幸吉は悲しみを乗り越え、真珠の養殖を事業として確立すべく前に進む。
1899年(明治32年)から銀座に店を開き、洋装用のアクセサリーを製作。
海外の博覧会に豪華な工芸品を出展してPRし、市場を広げた。

幸吉は地元の観光振興、また景観保護のための国立公園化にも尽力した。
1954年(昭和29年)、96歳の長寿を全うした。

真珠島の桜(186-21)
和風の庭園に桜吹雪が舞う。

売店でキティちゃんのストラップを買う。
本来、真珠のネックレスやペンダントを売っているカウンターで、真珠をモチーフにしたおみやげ品を買うという構図がけっこう面白い。

ミキモト真珠島のホームページはこちら

ミキモト真珠島を出て、時計を見たら午後3時ちょうど。
この後、鳥羽水族館に行く予定なのだが、閉館時刻は午後5時。
回り切れないかも。
鳥羽に来るのは2度目だが、前に来たときは両方1日で回れた。
ゲーセン紀行はメモを取りながら回るせいか、時間がかかる。


※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」&地図はこちら。
第186回 真珠の島と海の生きもの(宇治山田→鳥羽)
第185回 いよいよお伊勢参りへ(伊勢市→五十鈴川)
第184回以前

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