長久手古戦場('13.6.7)
長久手古戦場駅は、南北を2つの公園に挟まれた場所。
南は400~500メートルほど先に、口論義(こうろぎ)運動公園がある。
北側の1番出口から外へ出た。
駅前に広い更地があり、ブルドーザーやパワーショベルが行き交う。
イオンが建つらしい。
そのすぐ西隣に、古戦場公園がある。
長久手といえば、羽柴秀吉と徳川家康が戦った「小牧・長久手の戦い」で有名だが、その長久手の戦いの戦場となったのが、ここだったらしい。
合戦図が彫られたモニュメント。
家紋は左から、池田、羽柴、井伊、織田、徳川。
この写真では見えないが、池田の左に森、堀の家紋もある。
庄九郎塚は、池田恒興の嫡男、池田之助(元助)が戦死した場所。
伊右衛門茶が供えられていた。
住宅地の中にある、静かで穏やかな、憩いの場といった感じの公園。
ツツジがきれい。ちょうちょが飛んでいる。
この場所でかつて、激しい戦闘があって、何千人もの人が亡くなられたとは、とても思えない。
しかしこの公園の形自体が実は、長久手の戦場を縮小して表現したものだという。
写真左から、激戦地となった仏ヶ根(ほとけがね)。
家康の本陣、御旗山(みはたやま)。
堀秀政が布陣した桧ヶ根(ひのきがね)を表す。
私がこの写真を撮った場所も丘になっているが、家康が軍議を開いた色金山(いろがねやま)を模している。
家康は色金山から御旗山に進軍し、池田・森隊と堀隊を分断する形になった。
公園の北側には、勝入塚がある。
池田恒興が戦死した地。
庄九郎塚とそう離れていない。
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第173回 徳川家と豊田家のターニングポイント(長久手古戦場→芸大通→藤が丘→一社)
第172回 3度目の東山、そしてさらに東へ(東山公園→藤が丘→杁ヶ池公園)
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