バーンスタイン/追悼の一枚 | geezenstacの森

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バーンスタイン/追悼の一枚

亡き妻とカラヤンに捧ぐ

曲目/ベートーヴェン

 弦楽四重奏曲 No.14 嬰ハ短調 Op.131 (1826) 

1. Adagio, ma non troppo e molto espressivo    8:45

2. Allegretto    3:15

3. Allegro moderato    0:54

4. Andante, ma non troppo e molto cantabile    17:15

5. Presto    6:03

6. Adagio quasi un poco andante    2:45

7. Allegro    7:06

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲 No.16 ヘ長調 Op.135 (1826) *

1. Allegretto    7:17

2. Vivace    3:28

3. Lento assai e cantante e tranquillo    10:01

4. "ようやくついた決心". Grave - Allegro - Grave ma non torippo tratto - Allegro    10:39


指揮/レナード・バーンスタイン
演奏/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1977/09/08-10  コンツェルトハウス

   1989/09/13-18  ムジークフェラインザール*

EP:ギュンター・ブリースト、アリソン・エームス*

P:ハンス・ウェッバー

E:クラウス・シャイベ、ハンス・ペーター・シュヴァイクマン*

 

DG 435779-2

 

 

 

 この一枚は最初からCDとして発売されたものです。そんなことでジャケットらはレコード番号の末尾に最初から-2の表記がついています。2曲で77分越えの演奏時間ですからレコードでの発売はしなかったのでしょう。そして、この一枚は、弦楽四重奏曲 No.14 嬰ハ短調は既発売で、弦楽四重奏曲 No.16 ヘ長調だけが新規に発売という事になっています。そして、この二つの演奏はバーンスタインにとっても非常にメモリアルなディスクという事になっています。

 

 ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第114番 嬰ハ短調 Op.131(弦楽合奏版)は、1977年9月の録音です。ですから当然アナログ録音での収録となります。そして、この演奏は、バーンスタインの妻・フェリシア(1922-78)に捧げられています。といっても単純な夫婦愛ではありません。バーンスタインはフェリシア夫人との間に3人の子をもうけましたが、じつはバイセクシャルであり、1976年から77年にかけて妻と別居し、男性の愛人と暮らしました。この辺りの彼の性癖は「マエストロ: その音楽と愛と」でも描かれていますが、この別居中にフェリシアが手遅れの肺ガンに侵されていることが判明し、、彼女は1978年に亡くなります。当然、バーンスタインは強い自責の念にかられたそうで、この録音は妻の闘病中に行われました。愛する人の平癒を祈るかのような、真摯で哀切に満ちた第1楽章にはとくに心を打たれます。

 

 この時の演奏会の録音は最初は「プロメテウスの創造物」や序曲集と一緒に発売されました。ただ、上記に記した実際のコンサートでは交響曲第5番が一緒に演奏されています。何か意味深なプログラムという事が出来ます。ただ、ここが不思議なところですが、ベートーヴェンの交響曲第5番はムジーク・フェラインで録音と表記されているのですが、こちらはコンツェルトハウスでの収録という表記です。しかもジャケットには1977とだけ表記されていて、詳しい録音日時は記載されていません。ネットにアップされているバーンスタインのディスコグラフィには別の1978年6月12日の表記も見られます。この録音だけ浮いているのですね。不思議です。ただ、バーンスタインの妻、フェリシア・モンテアレグレが亡くなったのは1978年6月16日です。余談ですが、バーンスタインがベートーヴェンの交響曲全集を録音していたのはこの1978年前後だというのは興味深い事実です。

 

 全体は7つの楽章から成り、どこまでも沈潜し、濃厚な情念がこめられた第1楽章アダージョの変奏曲から、決然とした力強さがベートーヴェン特有の戦闘的な音楽と諧謔の交錯を完璧に表現した第7楽章アレグロまで、驚くべき集中力が聴きものとなっています。収録会場がソリッドな響きのコンツェルトハウスであったのもこの場合はプラスに作用しており、細部まで完璧に音楽を自分のものにしているウィーン・フィルの表現力がダイレクトに伝わってきます。

 


 


  バーンスタインはバイセクシャルでもあったのでしょう。バーンスタインの伝記(ジョーン・バイザー著 鈴木主税・訳「レナード・バーンスタイン」)には、最後の年に彼女の元に帰ってきた夫に向かい、ほかの人たちがいる前で、
 

"自分が病気になったのは、あまりにあなたに苦労させられたのでその仕返しをするためだったかもしれないと言った。
 少なくとも、家族と親しい一人は、フェリシアがたびたびこう言ってバーンスタインを罵っていたと語っている。
 「せいぜい長生きしなさいね、一人きりで」"

 

という言葉を投げつけています。
 

 さて、このCDの2曲目はカラヤンが亡くなった2か月後の演奏会での収録です。一応追悼演奏会で演奏されたものという事になっています。このCDはそのときのライヴ録音であり、終生のライバルに捧げた鎮魂歌です。映像も残っているのですが、ユニテルが録画したものでは無いようで、この曲とウェーバーの「オイリアンテ」序曲というへんてこな組み合わせでドリームライフから発売されました。


 こちらもベートーヴェン最後の弦楽四重奏曲が、晩年のバーンスタイン特有のゆったりテンポで、いとおしむように奏でられます。ウィーン・フィルの弦楽セクションはさすがに流麗の極み、優雅で柔和で木目細やかです。特に16番の演奏の頃はレニー本人の体調も徐々に悪化しつつあり、緩徐楽章での濃厚な表現に死の翳りを聴き取った人も少なからずいるのではないでしょうか。この2曲はバーンスタインが恩師ディミトリ・ミトロプーロスによって弦楽合奏用に編曲された版を用いて指揮しています。弦楽合奏だけで演奏されていますが、最初は主席の4人だけでの演奏から初めてリハーサルを繰り返し、録音に臨んだという話も聞きます。最終的に60人で弾いているとは思えないほどの、水も漏らさぬ完璧なアンサンブルです。これは濃厚です。

 

 晩年、「もし自分のレコーディングのうち一曲だけ後世に残すとしたら、この作品131を選ぶだろう」と語ったレナード・バーンスタイン(H.バートン 『バーンスタインの生涯. 下』 p.305)です。考えてみれば、この録音当時、レナード・バーンスタインはすでに癌に侵されており、翌1990年10月に亡くなっています。それにしても、バーンスタインにとって特別な存在のふたりに捧げた録音が、ともにベートーヴェンの後期カルテットの合奏版、というのは興味深いです。