バーンスタイン/VPOのショスタコーヴィチ | geezenstacの森

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バーンスタイン/VPO

ショスタコーヴィチ交響曲第6,9番

 

曲目/ショスタコーヴィチ

 交響曲 第6番 ロ短調 作品54

1.Largo 22:29

2.Allegro 7:52

3.Presto 7:32

交響曲 第9番 変ホ長調 作品70*

4.Allegro 5:21

5.Moderato 9:19

6.Presto 3:25

7.Largo 3:14

8.Allegretto 5:49

 

指揮/レナード・バーンスタイン

演奏/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 

録音/1985/10*

   1986/10  ムジークフェライン・ザール

D:ハンス・ウェッバー

P:ハンノ・リンケ

E:クラウス・シャイベ

 

DGG 00289 479 0768

 

 

 実際に手元にあるのはグラモフォンが2012年に発売した「ウィーン・フィル・シンフォニー・エディション」というボックスに含まれているものです。で、下がボックスのジャケと写真です。味気ないですなぁ。このボックスセットデータもイカゲンで、録音データは一切記載がありません。まあ、DGGに残されたウィーンフィルの演奏を適当に寄せ集めたものです。思うに、レヴァインとウィーンフィルでデジタルでもーぁルトの交響曲全集を録音したもののさっぱり売れなかったのでこのセットにぶち込んで撹拌を測ったようなセットです。そのため、今でも在庫が残っているという有様です。それにしても正規リリースされたCDもこの一枚だけジャケットデザインが全く違う絵が使われています。若き女性が草原でランニングしている様は何を表しているのでしょう。

 

 

 この作品、調べるとソ連の画家アレクサンドル・デイネカが1944年に完成させたキャンバスに描かれた「エクスパンス」と題された油彩画です。この作品は、中央ロシアの風景を背景に、スポーティな体格の若い女性たちが走る様子を描いています。1944年、ソ連軍が進軍し、ドイツ軍は逃げ惑っていた。飢餓と貧困に苦しみ、戦争は依然として兵士たちを殺していたが、真珠のような輝きを放ち、勝利は間近に迫り、明るい未来が手招きし、彼らは誰よりも身近に感じられた。これらすべてが絵画に反映されているのでしょう。

 

 

 1979年に出版された『ショスタコーヴィチの証言』以降、ショスタコーヴィチの作品解釈は見直しや変更が頻繁に行われるようになりましたが、このアルバムにおけるバーンスタインのアプローチは、特定の問題意識などの束縛から自由な絶対音楽としての作品像を彫琢し、極めてナチュラルで誇張のない表現のなかに、これら2曲のすこぶる音楽的な実像を浮き彫りにする結果を生んでいます。ショスタコーヴィチの6番と9番の組み合わせです。まず6番は、「革命」と呼ばれる5番と「レニングラード」こと7番との間に挟まれ、目立たずいまいち人気がありません。全体は3楽章構成で、とてつもなく暗く長い第1楽章。一陣の風のようにさらりとスケルツォが流れる第2楽章に続いて、サーカスのジンタのごとき楽天的な第3楽章という極めてユニークな構成で、能の「序ー破ー急」に類似します。それにしても、このバーンスタインの再録になる交響曲第6番はニューヨークフィルとの旧番に比べてもさらにテンポが遅くなっています。旧盤は18:56で、昨日取り上げたプレヴィンでは19分台でしたがここでは22分半をかけて演奏しています。まあ、全体として70年代以降のバーンスタインはテンポが遅くなっていたのですが、ここまで極端ではありませんでした。下はニューヨークフィルの旧録音の第1楽章です。この録音は1965年にされています。

 

 

 それから20年、活躍の舞台をヨーロッパに移したバーンスタインは、ウィーンフィルというカラヤンのベルリンフィルとは対極にあるオーケストラを使って考察を深めた自らの音楽体験を実践したのです。20年間の深厚の成果をここで露吐しています。

 

 

 作曲者は6番という数字を、かのベートーベンの「田園」になぞらえる気であったらしく、政府の社会主義リアリズムに即し、マヤコフスキーの詩「ウラジミール・イリイチ・レーニン」を基本にして、「春の生命の躍動」を描いたと記録にあります。といっても暗さと明るさの極端なコントラストはかなり個性的です。

6番2楽章が旧盤よりさらに遅くなっています。第2楽章を7分53秒で演奏する指揮者はこのバーンスタインぐらいでしょう。一般的には5分台に収まります。ここまで遅いと完全に別の曲のイメージですが、キラキラと輝く音色は素晴らしい。2種のバーンスタインの録音は極めて個性的なので聴き手を選ぶことは間違いないでしょう。

 

 

 

 この作品は映像でも残っています。多分音だけで聴くよりも、その表情づけは映像で確認した方が理解しやすいでしょう。

 

 

 続いて第9番です。バーンスタインは晩年になって重厚長大型というのか、末端肥大症型というのかスローテンポで極端な演奏をするケースが増えました。60年代のニューヨークフィルとの演奏と比較すると「これは同じ指揮者なのか」と疑問に思うほどの変貌を遂げたものです。しかし、どの曲も同じように重厚長大になったわけではないようです。この第9番の方はそれほど演奏時間は変わりません。ウィーンフィルとの再録音では全体的にやや厚い響きになってはいますが、極端な音楽にはなっていません。おそらく、バーンスタインの中にはこの曲に対する確固としたイメージがあって、それが終生変わらなかったのだと思います。指揮者の最終的な到達点としてはこの演奏を取るべきでしょう。

 

 また、第9番は第2次大戦の勝利をテーマとしてますが、これもベートーヴェンを意識しながらもアイロニー的な小編成の5楽章構成で描かれています。確かにこれは、ベートーベンの第九のような大作を期待していた政府関係者を憤慨させ、特に第5楽章のダンスはスターリンが嫌悪したユダヤ民族風の調べという有様。果たしてショスタコーヴィチは政府から糾弾され生命の危機にさらされました。

 

 この作品もまたバーンスタイン自身のアナリーゼが残っています。

 

 

 こちらは旧録音と比べても演奏時間はそんなに違いません。ピッコロの剽軽な主題からなる第1楽章はむしろ旧録音より早いテンポです。映像を確認するとこちらは会場の雰囲気もあるのでしょうが実にイキイキと指揮しています。多分この本来のCDジャケットの絵はこちらの第9番をイメージしてデザインされたものではないでしょうか。同じ傾向の第2楽章。タンバリンなどの打楽器が活躍するスペイン舞曲風の第3楽章。短くとも重厚な第4楽章。アタッカで続く第5楽章で、はじめて戦勝の乱舞が演奏されて終わります。

 

 この曲の小生のディフェクト・スタンダードはミラン・ホルヴァートの演奏ですから、全体はもう少し早めの店舗で軽やかさがあってもいいとは思います。しかし、これはこれでバーンスタインのアナリーゼ通りの演奏として楽しむことにします。

 そんな波瀾に満ちた2作品を、バーンスタインは全くの純粋な音楽として、黙々と指揮しています。ウイーンフィルにとってショスタコーヴィッチはあまりなじみがないと思われますが、指揮者の期待に応えて良い演奏を行っています。「政治は政治、芸術は芸術。関係ないよ。」そんなレニーのつぶやきが聞こえてきそうです。政治に翻弄された芸術を守ろうとした音楽家と演奏で同意を示した指揮者。二人の世代と国境を越えた強い絆が感じられます。

 

 

 こちらも映像が残されています。