東京国立博物館 法隆寺宝物館 | geezenstacの森

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東京遊山 1-3

東京国立博物館 法隆寺宝物館

 

 明治11年(1878)に奈良・法隆寺から皇室に献納され、戦後国に移管された宝物300件あまりを収蔵・展示しています。これらの文化財は、正倉院宝物と双璧をなす古代美術のコレクションとして高い評価を受けていますが、正倉院宝物が8世紀の作品が中心であるのに対して、それよりも一時代古い7世紀の宝物が数多く含まれていることが大きな特色です。

 

鳥取藩池田家上屋敷の大門、通称黒門です土日しか開門しません。

 

 

 黒門の前を通って池に面して建っているのが「法隆寺宝物館」です。ずいぶんモダンな建物です。この池に浮かぶというスタイルは愛知県の豊田市美術館の造りと似ています。平等院や金閣寺といった日本古来の建物の前に大きな池がよく設置されていますが、それには現世と来世を仕切るという意味合いがあるそうです。

 

池の麓にはもう桜が咲いています。

 

東京国立博物館のマップ

 

 

 エントランスです。左手が入館口、突き当たりの右手が展示室入口です。ここは2つのフロアからなっており、1階には国宝頂幡、金銅小幡などの宝物や観音菩薩立像などの金銅仏が、2階には鳳凰円文螺鈿唐櫃などの木・漆工調度品や、綾幡残欠などの染織品が多数展示されています。なぜ東京に法隆寺の宝物殿があるんでしょうかと普通の人なら思うでしょう。これが歴史のなせる技だったんですなぁ。

 

 これらの貴重な文化遺産が法隆寺を離れてここに集められた背景には、明治時代になってまもなく行われた「廃仏毀釈」の影響があります。廃仏毀釈とは明治政府が実施した「仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃する」運動ですが、25円で売りに出され、薪になりかけた興福寺の五重塔と同じ運命が、法隆寺にも迫っていました。法隆寺の高僧たちは、ここで一計を案じます。1878年(明治11年)、貴重な宝物数百点を皇室に寄贈。法隆寺所有の宝物の古美術品としての価値をアピールしました。その結果、法隆寺は廃仏毀釈の魔の手を逃れ、広大な寺域と伽藍をそのままに維持することができました。

 さらに、第二次大戦後になって、皇室に献納された宝物は国に移管。やがては、法隆寺宝物館に納められることになったのです。法隆寺宝物館は、東京にある「もう1つの法隆寺」と言ってもいいかもしれません。

 

 

 

仏像の背後につける「光背」です。

 

如来と両脇侍立像

 

 平日は第3室は展示物保護のために公開されていないのですが、金曜と土曜日だけはボランティアの方々の説明付きで入室することができます。その部屋には伎楽面が収蔵されています。仮面ではなくすっぽりと頭からかぶるタイプの面です。

 

正面

 

裏面

 

女性の伎楽面
 

こちらが復元したものです。

 

 

こういう異形の面が伝えられているということは西域との交流を思わざるを得ません。

 

第2室の仏像群

 

 

 

 

 

初期の仏像は厚みがありません。

 

 

 さて、ここからは第1室です。ここでは「灌頂幡(かんじょうばん)」が陳列されています。幡とは、仏教の儀式で用いる旗のことです。特に灌頂幡は上部に天蓋(てんがい)という傘を備え、大幡(だいばん)や小幡(しょうばん)などを組み合わせて構成された豪華なものです。古代において灌頂幡は天皇が亡くなられて一年目の法要や、寺院の完成を記念する儀式などで用いられました。この作品の場合、作られた目的は不明ですが、聖徳太子の娘と考えられる「片岡御祖命」(かたおかのみおやのみこと)によって納められたことが『法隆寺資財帳』という8世紀の記録に書かれています。
 
 

 

 解説のボランティアの方の声がちょっと小さいのとレジメを棒読みしているだけというのが難点でしたがこの灌頂幡の荘厳さは感じ取ることができました。

 

 

 

 

 階段室の高い天井から吊るされているのは精巧な模造品ですが、当時の姿を見ることができます。本来はさらに幡足(ばんそく)と呼ばれる色とりどりの絹の吹き流しを垂らし、全体で10メートル以上の長さを誇っていたと考えられます。幡の本体は銅の板を彫透(ほりす)かしたうえ、金メッキが施されており、仏や天人、唐草などの文様が全体に表わされています。特に大幡をご覧ください。音楽を奏で、華や香を捧げる天人が、あたかも地上に降りてくるようです。

 

実際に使われた時の様子

 

 この階段室を登り2階の展示室に向かいます。こちらには、

4室 木・漆工

5室 金工

6室 絵画・書跡・染織

が展示されています。

 

 

 如意は僧侶が儀式などで手にとり、威儀(いぎ)を正すのに用いる法具のことです。 本来孫の手に似た形状で、法隆寺に伝わる七世紀の作例はその形式をしめしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ご覧のように重要文化財が所狭しと並べられています。じっくり眺めているとあっという間に時間が過ぎていきます。

 

 

 

 

 そして、こちらは国宝です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤地唐花文錦伎楽呉女背子残欠

 

青緑地六弁花鳥文錦

 

白茶地唐花文錦天蓋垂飾残欠、紫地花鳥連珠七宝繫文錦天蓋垂飾残欠

 

いずれも正倉院伝来のものです。

 

 
古文書 足利尊氏等筆

 

古文書 足利尊氏等筆

 

 

法隆寺別当次第 1515年

 

異本法隆寺別当次第

 

 さて、中2階にはデジタル宝物館があります。ここでは痛みのひどい宝物のデジタル化したものが鑑賞できます。現在は、「聖徳太子絵伝」を見ることができます。国宝「聖徳太子絵伝」は、かつて法隆寺の絵殿(えでん)を飾っていた大画面の障子絵です。平安時代・延久元年(1069)、絵師・秦致貞(はたのちてい)によって描かれました。10面からなる横長の大画面に、聖徳太子の生涯にわたる50以上もの事績が散りばめられています。数ある聖徳太子絵伝のなかでもっとも古く、初期やまと絵の代表作にあげられます。

 

 

 10面の絵は原寸大の復元図と共にデジタルコンテンツで、1面およそ縦1.9m×横1.5mの本作品を、計28区画に分割して撮影し、画像をつなぎ合わせて1面で18億画素の画像データで自由に拡大して見ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時の装束もデジタル復元されています。

 

復元された夾纈版木で染色されたもの

 

 

興 味のある人ならこの宝物館だけで半日は過ごせるでしょう。ちょうどホテル目オークラのレストランも併設されていますから食事に困ることもありません。