今年のコンサート初は市美術館で
未来へ繋ぐ猛獣画廊壁画
土曜日は気忙しい1日で、午前中は野暮用で全くスケジュールが潰れてしまったのですが、午後は「猛獣壁画修復プロジェクト」の完了報告会へ出かけました。
名古屋市科学館
名古屋市美術館
スケジュール的にはこの講演会の前に名古屋市美術館の地下1階のロビーでミニコンサートが開催されることになつていました。開始には間に合わなかったのですが、美術館に入ると弦楽四重奏の音色が聴こえてきます。菊里高校の音楽家の生徒による本格的な弦楽四重奏の演奏です。最初はモーツァルトの弦楽四重奏曲第17番K.458の「狩」から第1楽章でした。市美術館のロビーのエントランスはB1から2階までの吹き抜けになっていてすばらしい音響の空間になっています。そして、高校生と侮ってはいけません。実に堂々とした演奏で呼吸もぴったりの四重奏が響いていました。公立では珍しく音楽科のある高校で、かなりのアーティストが巣立っています。制服を着ての演奏でしたが、変なキラキラ衣装では無く帰って清楚な感じがして演奏に試遊中して聞き耳を立てることができました。
2曲目は今では偽作というのが定説になっているハイドンの弦楽四重奏曲「セレナーデ」から第2楽章と第4楽章か演奏されました。有名なセレナードですが、本来は-----の作曲だったんですなぁ。第1ヴァイオリン以外はピチカート双方で演奏される佳曲です。
地下でのコンサートの後は今度は2階の講堂で猛獣壁画修復プロジェクト」の完了報告会です。本来はこちらが目的でした。先着順に入場可能ということでしたが、なんと2番目に並びました。
この猛獣画廊壁画は屠殺処分で動物園に動物がいなかった時代に東山動物園のカバ舎の窓ガラスを隠す形で展示されていました。昭和23年のことです。作品は縦137センチ横500センチという大きなものでした。新聞社の企画で実現した者ですが、制作期間はわずか1ヶ月という突貫制作でした。しかし、昭和29年にはカバが再び展示されたということでわずか6年ほどしか展示はされていませんでした。
役目を終えた猛獣画廊壁画は一時期「名古屋観光会館」で展示されていましたが管理がずさんでしたから破損がひどく同会館が閉館となった時に廃棄となる運命だったのを名古屋市美術館が保管することになり1997年に収蔵されました。
太田三郎
水谷清
宮本三郎
1948年10月2日付「中京新聞」掲載された画家3名の言葉を紹介します。
太田三郎
「中京新聞のこの企ては地方文化の自主性樹立を志して名古屋へ居を移した私にとってこと に意義が深い。今日のこの郷土の荒涼とした生活環境へこれによって何ものかを贈ることが出来れば限りない喜びである。併せてはこれが芸術と科学との醇化、科学が芸術の光被によって大衆の心奥に浸透する効果、といったようなものについての試金石の一つともなれば一層の喜びである。私のタラン〔才能〕が果たしてそれに副いうるかどうかは頗る心許ないが、最善をつくして折角の企図からヴアリユウ〔価値〕を減じないように努めよう。」 〔 〕補足
水谷清
「動物画廊は現代の日本では子供のために是非とも緊急にやらなければならない仕事だと思って引受けた。わが国ではじめての試みだから引受けてさてどうとわれわれにも見通しはつかない。むしろ時代に逆行したパノラマ風な画面をどう現代に生かすか・・・むづかしく考えれば手がでない。私としては美術的な角度を失わないで南方熱帯のふんい気と科学的な猛獣どもの生態を可愛いい子供たちに楽しく伝えることに重点をおいて仕事を進めたいと思う。」
宮本三郎
「私がこんど委嘱されて失われた動物たちの画像を描きあげることは甚だ愉しいことであります。日本の小国民たちが将来世界人として生きてゆく上からもこの動物との接触に深い意義を感じさせられます。私どもの絵が、彼ら動物の自然なままの生態を伝えることに役立ち、その理解への手引きとなればと思います。飼われた動物と野生の動物には大きな相違があり、その復原に全力をつくしたいと思います。」
2018年に美術館の開館30周年にあたり、これらの作品は展示されましたがその痛み具合から修復の必要性が叫ばれ、2023年度の修復を目指して募金活動が展開されます。そして、この修復は一般公開の形をとり、実際の修復作業を見学できるという体制でプロジェクトは進んでいき、2023年の12月に正式に一般公開されています。
実際の修復作業
この修復にあたっては、愛知県立芸術大学文化財保存修復研究所に依頼し、修復の専門家、また 近隣で文化財の修復や保護等について学ぶ学生、研究者を中心としたチームを組織し、研究、人材育成を図りながら、調査、修復が行われました。
この修復された猛獣画廊壁画は3月10日まで展示されています。