ワルターのモーツァルト | geezenstacの森

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ワルター生誕100周年記念

モーツァルト/後期6大交響曲集

 

曲目/モーツァルト
1.交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」(1959.1.13, 16, 19, 21 録音)
2.交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」(1960.2.28&29録音)
3.交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」(1960.2.25.26.28録音)
4.交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」(1959.12.2録音)
5.交響曲第39番変ホ長調K.543(1960.2.20&23録音)
6.交響曲第40番ト短調K.550(1959.1.13&16録音)

指揮/ブルーノ・ワルター

演奏/コロンビア交響楽団

 

P:ジョン・マックルーア、トーマス・フロスト

 

CBSSONY 60AC112-4

 

 

 ブルーノ・ワルターのモーツァルトの交響曲は、レコード時代には一枚も所有していませんでした。僅かに手元にあったのはブラームスの「大学祝典序曲」などが収録された管弦楽集とドヴォルザークの交響曲第8番のレコードだけでした。代表的なベートーヴェンもマーラーもかすっていませんでした。当然モーツァルトもです。ソニーの方針でワルターは安売りをしないとのことで、モノラルの旧録音は廉価盤で投入されましたが、ステレオ盤は日本では出ませんでした。

 

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 このボックスセットは1976年に発売されていますが、レコード3枚の割にボックスの厚みは2㎝以上あります。要するにスッカスカのセットとも言えます。このセットの前には伏線が降り、1975年に「交響曲名鑑」というシリーズが発売されています。その内容は以下のものになっていました。

モーツアルト:交響曲第35番(セル指揮クリーブランドO.)
モーツアルト:交響曲第36番(ワルター指揮コロンビアso.)
モーツアルト:交響曲第38番(ワルター指揮コロンビアso.)
モーツアルト:交響曲第39番(セル指揮クリーブランドO.)
モーツアルト:交響曲第40番(セル指揮クリーブランドO.)
モーツアルト:交響曲第41番(ワルター指揮コロンビアso.)

 

 これは3枚組ですが、価格は4,000円で発売されていました。価格的には魅力でしたが半分がセル、半分がワルターという中途半端な内容でした。で、翌年このセットが発売されたということですが、ワルターの生誕100周年ということで、世界各国で似たような内容で発売されています。

 

 

 本家アメリカでは、日本と同じ仕様で6大交響曲が出ていました。ただし、盤面構成はオートチェンジャー用であったと記憶しています。

 

 

 こちらはドイツ盤です。こちらは6大交響曲となんと「演奏の誕生」という交響曲第36番のリハーサル録音が一緒に収録されています。日本では何度も特典盤として売り上げ促進に使われたものです。日本でこの特典盤が正式に市販品として発売されたのは1979年です。個人的にはこの「演奏の誕生」は別途2018年に入手しています。

 

 

 

 さて、これらのモーツァルトの演奏、実は初めて耳にするものが多いのです。先年韓国ソニーから発売された「ワルター・エディション」には実はこれらの録音は含まれていませんでした。収録されていたのはニューヨークフィルとのモノラル録音ばかりで、ステレオ録音は含まれていませんでした。39枚組のセットでしたが落胆したものです。韓国ソニーも罪なことをしたものです。ということで、コロムビア響とのステレオ録音はこのレコードが初めて手に入れたものとなりました。ソニーはワルターのコンプリート・エディションはどうも出す気は無いようですなぁ。

 

 さて、ステレオで聴くワルターのモーツァルト、以前何かの記事で読んだのですが上のリンツのリハーサル、オーケストラは約30人ほどの演奏であったことが知られています。もともと、コロムビア交響楽団は臨時の編成でしたから、ワルターは室内オーケストラに近い編成でこれらのモーツァルトを録音したのでは無いでしょうか。最晩年のワルターのモーツァルトの世界がこのレコードには刻まれています。それは今となってはやや古い世代の演奏ではありますが、「リンツ」交響曲に垣間見るデモーニッシュな序奏から主部に入った途端、突如として光が舞い降りる瞬間の妙、ここには生命が感じられます。また、ト短調交響曲の哀しみの背面にある喜びに、生と死が一対であることを思い浮かべてしまいます。あるいは、「ジュピター」交響曲における絶妙なテンポの揺れと確信に満ちた歩調から感じられるモーツァルトの永遠に続くようなフーガの調べは至福のひと時です。

 

 多分このような感覚はレコード時代を体験した人でないと味わえない感覚かもしれません。