トスカニーニのベートーヴェン序曲集 | geezenstacの森

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トスカニーニのベートーヴェン序曲集

 

曲目/ベートーヴェン

1.「レオノーレ」序曲 No.3 Op.72b(1945.6.1録音)    13:12

2. 序曲「献堂式」Op.124(1947.12.16録音)   9:44

3. 序曲「コリオラン」Op.62(1945.6.1録音)    6:57

4. 「エグモント」序曲 Op.84 (1939.11.18録音)   8:36

5. 「プロメテウスの創造物」序曲 Op.43(1944.12.18録音)    4:59

6. 「レオノーレ」序曲 No.2 Op.72a (1939.11.25録音)   13:11

弦楽四重奏曲 No.16 ヘ長調 Op.135 (1938.3.8録音)

7.第3楽章: Lento assai    8:30

 8.第2楽章: Vivace    3:01

 

指揮/アルトゥーロ・トスカニーニ

演奏/NBC交響楽団

 

 

 先日ラックを新調した時に本棚の中に埋もれていたトスカニーニの全集を掘り起こしたついでに、久しぶりに聴いて見ました。取り上げるのは今まで多分探梅では発売されたことのないベートーヴェンの序曲集です。今まてせ、交響曲とともに収録されていたのは晩年の録音のもので、1930-40年代の録音はピックアップされていませんでした。そして、今回改めて聴いて見てトスカニーニの魅力を再確認した次第です。個人的にはフルトヴェングラーと等距離を置いているつもりですが、世間的には10:1ぐらいでフルトヴェングラーなんでしょうなぁ。

 

 トスカニーニの演奏の魅力は、インテンポで演奏される中でのある種のファナティズム(熱狂)にあると考えます。理想への熱狂。それゆえ、リハーサルでは、楽員たちを叱咤激励するどころか、罵倒し、物を投げ、専制君主のように振る舞った訳ですが、並みの指揮者が同じような演奏をしても、ただ単に教科書通りの演奏で終わる凡演でしかないでしょう。それでも楽員たちがトスカニーニについていったのは、彼に従えば、演奏が明らかに良くなっていくことを彼らが耳で実感していたからに違いないでしょう。トスカニーニを敬愛していたカラヤンですが、同じ完璧主義者として知られているカラヤンの「完璧」は音の豊饒を目指した完璧であったのに対し、トスカニーニの「完璧」は理想への熱狂の結果として生み出される完璧であったといえるのではないでしょうか。

 

 最初の「レオノーレ序曲第3番」からして聴いていて息苦しくなるほどの厳格な響きなのですが、その響きは強烈な意志を貫くベートーヴェンそのものという印象を受けます。録音の古さからか冒頭はワウフラッターで音が揺れる部分がありますが、すぐにそんなことは気にならなくなりその響きに引き込まれていきます。この感覚はフルトヴェングラーと同じような印象なのですが、聴こえてくる音楽は全く違います。それでもやはりベートーヴェンの音楽にのです。

 

 

 一点の曇りもないアンサンブルからもたらされる響きは研ぎ澄まされていて、音楽の持つパワーをダイレクトに感ずることができます。そして、そこから拡散されるエネルギーも他の指揮者を圧倒します。コーダに向かっての推進力はみごとなもので、ピリオド楽器で演奏される音楽とはやや次元の違う、近代的なオケストラの奏でる現実的なベートーヴェンであることを再認識させてくれます。

 

 

 

 

 

 ここに収録されている1930-40年代の演奏は、時代的には世界が有事に染まり、人々の精神が陰鬱な方向へと向かったであろうそのときの、トスカニーニの厳格な精神を露わにする特別なるベートーヴェンを聴くことができます。

 

 フルトヴェングラーの録音もそうですが、トスカニーニの録音もモノラルというハンデを乗り越えて、聴くものに音楽の持つ崇高さと精神の高揚を届けてくれます。

 

 

 鉄壁のアンサンブルを誇ったトスカニーニの楽器たるNBC交響楽団の実力は残された抜粋ながら最後の弦楽四重奏曲の演奏に刻まれています。第3楽章レント・アッサイ,カンタンテ・エ・トランクィロの慟哭、そして、第2楽章ヴィヴァーチェの束の間の歓びとなって残されています。