バック・トゥ・1971/05-4 | geezenstacの森

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バック・トゥ・1971

レコード芸術1971年5月号 4

 

 この月のレコ芸はツッコミどころが多く紹介も4回目になってしまいました。友人からは、次々と懐かしいレコ芸が送られてくるので未紹介のものが溜まる一方で、うれしい悲鳴です。

 

 

 この号では、この年の4月6日に亡くなったイゴール・ストラヴィンスキーの追悼記事が出ています。本来なら巻頭を飾るビッグニュースなのでしょうが、締め切りが近かったのでしょうか、白黒のグラビア4ページで三浦淳史氏の記事でお茶を濁しています。しかし、そこは三浦氏で日本の新聞記事では触れられていないストラヴィンスキーの家族についても書かれています。再婚のストラヴィンスキーには前妻との間に3人の子供がいます。この当時の記事では、長男はイリノイ大学でピアノを教え、次男は画家としてスイスに居住し、一人娘のミレーナさんはロサンゼルス在住でよく、ストラヴィンスキーの運転手をしていたそうです。

 

 ところが死の前年の1970年に、ビバリーヒルズの邸宅を引き払ってニューヨーク5番街の高層マンションに引っ越していました。ところがこの引越しでキャッシュを使い果たし、「春の祭典」の肉筆楽譜を含め1万7千点の資料をパッケージにして350万ドル(当時の金額で12億6千万)で売りに出していたそうな。触手を動かしたのは当時のソ連政府とアメリカの国会図書館だったそうですが、いったい誰が買ったのでしょうかねぇ。

 

 そう話したのはストラヴィンスキーの片腕として晩年を支えてきた准遺族のロバート・クラフトです。

 

 

 晩年のスドヴィンスキーは午後の遅い時刻から宵の口に仕事にかかり、夕食は7時から7時半までに済ませ、その後はまた仕事に取り掛かったとも語っています。

 

 

 さて、この号でもう一つ興味深いのはこの年公開されたミュージカル映画「ソング・オブ・ノルウェー」です。前年には日本ヘラルドから「チャイコフスキー」が公開されていましたし、この後10月にはルキノ・ヴィスコンティのマーラーを描いた「ベニスに死す」も公開されていますからこの頃ちょっとした楽聖の映画ブームだったのですが、このグリーグの生涯を描いた「ソング・オブ・ノルウェー」はミュージカルだったこともあり、あまり注目されませんでした。

 

 当時は映画に興味がもあり、これらの映画は全て劇場で鑑賞しているのですが、それらの中で一番印象に残ったのはこの「ソング・オブ・ノルウェー」でした。グリーグの名曲の数々が登場し、それが歌われ、踊られるのですからこれほど楽しいことはありません。もともとは1944年にブロードウェイで上演された作品で、当時は850回という記録的なヒットをした作品です。ただ、ミュージカルという性格上かなり脚色され、事実と違う部分も結構あります。

 

 

 

ここではグラビアでの紹介と記事では岡敏雄氏がこの作品を取り上げています。70mmでの冒頭のノルウェーの風景の美しさに見とれた記憶があります。そのシーンです。

 

 

 この映画、タイトルバックはフィエルスタッド指揮ロンドン交響楽団、ジョン・オグドンの演奏するピアノ協奏曲の冒頭が使われています。

 

 

 また、劇中の音楽のアレンジはローランド・ショウが担当していました。

 

 

 

 小生はなぜかこのサントラのオープニングのイメージがずっとこの映画と結びついていました。ノルウェー舞曲は船上でのダンスのシーンで使われています。この作品ビデオでは一度発売されましたがDVD化はされていませんし、サントラ盤も復活したことはありません。残念ですなぁ。