追悼 ヤンソンス
ショスタコーヴィチ交響曲第7番
「レニングラード」
ショスタコーヴィチ/交響曲 第7番 ハ長調 作品60 「レニングラード」
1. 第1楽章:アレグレット~モデラート
2.第2楽章:モデラート(ポコ・アレグレット)
3.第3楽章:アダージョ~ラルゴ
4.第4楽章:アレグロ・ノン・トロッポ~モデラート
指揮/マリス・ヤンソンス
演奏/レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
録音:1988/04/22,23 コンサートハウス オスロ
P:ディヴット・R・マレイ
E:ラルフ・カズンズ
マリス・ヤンソンスは亡くなるまでにこの「レニングラード」を3回ディスクで残しています。その最初の録音がこのレニングラード・フィル(現在のサンクト・ペテルブルク・フィル)とのもので、次に当時の手兵だったロイヤル・コンセルトヘボウとさして、最後にはやはりもう一つの手兵であつたバイエルン放送交響楽団と録音しています。
経歴をたどると、マリス・ヤンソンス[1943-2019]は、1971年にレニングラード・フィルを指揮してプロ・デビューし、1973年からはムラヴィンスキーに招かれて副指揮者をつとめたという経歴の持ち主で、1986年のレニングラード・フィル来日公演でのムラヴィンスキーの代役としてのショスタコの交響曲第5番を指揮した見事な演奏は語り草になっています。そんなことでムラヴィンスキーから多くの物を吸収している指揮者です。
ヤンソンスはショスタコーヴィチを度々録音していますが、一番最初の録音は当時の手兵オスロ・フィルとの交響曲第5番で1987年の録音でした。しかし、これはあまり評判にならなかったようで、後に全集が発売された時には、ウィーンフィルとのものに差し替えられています。そして、この交響曲第7番は1988年の録音です。この年は奇しくもムラヴィンスキーが亡くなった年で、その縁のあるオーケストラをヤンソンスが指揮をして全集をスタートさせたということになります。ここにもヤンソンスの意気込みが感じられます。実際この録音は欧米で評価され、欧州を代表するレコード賞、オランダ・エジソン賞(1989年)を受賞しています。
ヤンソンスはこの後、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、バイエルン放送響、フィラデルフィア管、サンクト・ペテルブルグ・フィル、ピッツバーグ響、ロンドン・フィル、オスロ・フィルという世界各国の8つのオーケストラを指揮して全集を完成させています。違ったオーケストラで全集を完成させたのはハイティンクやアシュケナージなどがいますが、これだけ多くのオーケストラを使って全集を完成したのはヤンソンスだけでしょう。
まあ、ベートーヴェンではクーベリックが同じような趣向で録音した全集がありますが、それと比べても遜色がありません。小生らの世代だとマリス・ヤンソンスよりも父親のアルヴィド・ヤンソンスの方を思い浮かべてしまいますが、晩年のマリスの活躍を見ると息子が父親を追い越したい良い例なんでしょうね。演奏はそういうオーケストラの特色を生かしたワールドワイドな世界感のショスタコーヴィチでいわゆる金管ばりばりの力で押し切る演奏とは一味違います。
以前もヤンソンスのショスタコを取り上げていますが、この第7番については触れていませんでした。そこで、今回追悼盤として取り上げるのですが、当初はこの演奏あまり好みではありませんでした。最近、iPhoneに取込んでからはは毎日のように聴いていて、少しづつこの演奏の良さがわかってきました。
ロシア系の指揮者は早めのテンポで第1楽章を開始する傾向があり、最初のこのレニングラード・フィルとの録音もその傾向があります。当時はこの曲はバーンスタインの刷り込みが強いこともあり、どっしりとした遅めのテンポを好んだのですが、最近は早めのテンポの演奏も受け入れるようになりました。
ヤンソンスは現在のラトヴィアのリガの生まれですが、父親とともに思い入れのあるこのレニングラード・フィルと交響曲第7番を録音したのはやはり因縁を感じます。バーンスタインはどちらかというと戦争のテーマを引きずるような重い足取りて演奏していますが、ヤンソンスは確実にリズムを刻みドイツ軍の進軍の足音として捉えています。
ですから第2楽章との対比がより鮮明に聴き取ることができる音楽作りがなされています。この曲が録音された年はムラヴィンスキーの後を継いだテルミカーノフがこのオーケストラの常任指揮者券音楽監督に就任した年です。しばらくはレニングラードフィルとの関係も続いていました。テルミカーノフの名前はなんか突然浮上したような記憶があります。ですからレニングラートフィルの日本公演にはテルミカーノフとともに、ヤンソンスも帯同して1989、1992、1994年と来日していました。多分父親のアルヴィドが知られていましたからマリスの方が知名度があると招聘元も思っていたんでしょうなぁ。が、1979年にはオスロ・フィルの首席指揮者に就任していましたから、あまり未練はなかったのでしょうなぁ。ということでこれは置き土産のような録音でもあるんですな。
それにしても、オーケストラはムラヴィンスキーに鍛えられただけあって上手いです。個人的にはやはり、尻上がりに調子が上がっている演奏と捉えています。録音はディヴット・R・マレイが一貫して担当していますが、どちらかというとEMIらしい落ち着いたサウンドを志向しています。素直に聴いているとやや物足りない印象があるのですが、イヤホンで聴くとガラッとイメージが変わります。それで取り上げる気にもなったのですけどね。
こちらはヤンソンスが1992年にベルリンフィルを振った時の映像です。なんと、ショスタコの第7番はこの62年前にチェリビダッケが振って以来取り上げたことがなかったというから驚きです。まあ、カラヤンなんか交響曲第10番しか録音しなかったですからさもありなんですけどね。これ、当時WOWWOWで放送されたもので当時はクラシックも放送していた時のものです。ちなみに、小生もこの時ベルリンフィルのコンサートを聴きたくてWOWWOWに加入したのですが、それも長くは続かなかったのですぐ退会してしまいました。映画なんてレンタルで十分でしたからねぇ。