京都旅 2019 その7 四条通近辺をぶらり散策2

福聚山平等寺参拝の跡はまた北の高辻通りに戻り、今度は「仏光寺」を目指します。上の写真はその通り沿いにある「ホテル日航プリンセス京都」のエントランスアプローチの坪庭です。

仏光寺は、北の仏光寺通りからは入れませんので、南の高辻通りからの方が便利です。上は南門の横に掲げられた今月の標語です。
「私は
願いごとを
言うだけの
一年ではなく
願われた
私であったと
言える
一年でありたい」

東側の入りとなる「御影堂門」

勅使門

玄関門

境内パノラマ写真、左が「阿弥陀堂」、正面が「太子堂(御影堂)」、右が宗務所

なんと1月7日の訪問日まで御朱印(法語印)の受付はお休みでした。残念。

「太子堂(御影堂)

この御影堂は自由に上がって参拝することができました。で、本堂の中。

親鸞上人の坐像


左右の狩野派の襖絵。


鐘楼

阿弥陀堂


今度は仏光寺から少し北の綾小路通りを東に向かいます。ぱっと目に付いたこの建物、どこかユーモアに溢れています。

そのちょいと先にあった「京都焼鳥製作所」のエントランスです。なかなか渋い坪庭です。

天照皇大神----伊勢神宮内宮の御祭神
豊受大神-------伊勢神宮下宮の御祭神
ということです。

本殿は一条家の玄関及び玄関正面の書院を移築したもので、唐破風の優美さは日本有数と言われています。また、手水舎の水盤は元伏見城にあったものを移築したと伝えています。

唐破風の拡大写真

手水者の横に鎮座する福禄寿

講社の看板

ちなみに「神社」ではなく「神宮」というのは、明治以降の場合は天皇家に関係する場合がほとんどで、神前結婚は、明治三十三年、当時の皇太子殿下(後の大正天皇)と九条節子姫(後の貞明皇后)の御成婚に始まります。そんなことで、民間の神前結婚式の発祥の地とされています。





山門前に建てられていた碑で『天野屋利兵衛は男でご座る』と刻まれています。『仮名手本忠臣蔵』の十段目では、天野屋利兵衛は天河屋義平(あまかわやぎへえ)として登場します。その名台詞「天河屋の義平は男でご座る」にちなんだものと思われます。
そして、調べると「アラカン」と言われた映画俳優の嵐寛寿郎(あらしかんじゅうろう)のお墓もあるそうです。