ブロニスラウ・ギンペルのメンデルスゾーンとチャイコフスキー
曲目/
メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64 27:32
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.35 17:19 15:53
ヴァイオリン/ブロニスラウ・ギンペル
指揮/ヨハネス・シューラー
演奏/バンベルク交響楽団
録音/1960/09、クルトゥー・アラウム、バンベルク
小学館、日本コロムビア GES-3210(原盤オイロディスク)

そもそも、このレコードは廉価盤のハシリとなったコロムビアのダイヤモンド1000シリーズの2枚目として発売されていました。ただ、小生はその頃ギンペルなんて全く耳にしたことのない名前だったので無視していました。ところがこのシリーズがヒットして、ライバルのキングが世界の名曲1000シリーズというものを発売した時に、コンヴィチュニー指揮ゲヴァントハウス管弦楽団のブラームスの交響曲第1番のレコードが発売され、その併録にこのギンペルの演奏するブラームスのヴァイオリン協奏曲が収録されていて、そこでギンペルの名前を知りました。面白いのは当時はキングからもオイロディスク原盤が発売されていたのです。どういう契約になっていたんでしょうかね?
ギンペル(1911-1979)はポーランド出身のアメリカ合衆国のヴァイオリニストでチャーリー・パーカーとも協演したことがあります。14 歳でウィーンフィルと協演してゴルドマルクの協奏曲を演奏してデビューしています。イタリアのヴィットリオ・エマヌエレ3世王やローマ 法王の前で演奏し、パガニーニの墓前ではパガニーニ愛用のグァルネリを演奏したエピソードがあります。ユダヤ系のため戦争中はアメリカに渡り、クレンペラーの招きでロスフィルのコンサート・マスターを務めています。さらには、「戦場のピアニスト」のシュピルマンとも世界中で2,500回を超えるデュオ・コンサートを開いていますし、1964年にはワルシャワ五重奏団のリーダーとして来日しています。
一方指揮者のヨハネス・シューラーは1989年の生まれですからカール・ベームと同年です。1920年からグライヴェッツ、1922年からケーニヒスベルク、1924年 - 1928年までハノーファー市立歌劇場で補助指揮者を務め、1932年からオルデンブルクの音楽監督になっています。その後、1933年からはエッセン歌劇場の指揮者となり、1936年から1949年まで1933年からはエッセン歌劇場の指揮者となり、1933年からはエッセン歌劇場の指揮者となり、1936年から1949年までベルリン国立歌劇場の指揮者を務めていますが、同時期にカラヤンもベルリン国立歌劇場の指揮者になっています。言ってみればオペラ端の指揮者ですね。
オイロディスクというレコード会社はよく解らないのですが、時々、興味深い組み合わせのレコードを録音しています。ただ、ポリシーがメジャーのようにしっかりしていなくて、このギンペルもここではヨハネス・シューラーと、そしてブラームスはアルトゥール・グリューバー/ベルリン交響楽団、ドヴォルザークはハンス・ツァノテルリ/ベルリン交響楽団とバラバラです。下衆の勘ぐりですが、その時のコンサートスケジュールと指揮者の空き、オーケストラの都合で行き当たりばったりで録音していたのではないでしょうかね。
さて、このメンデルスゾーンあまりその筋には受けはよくなかったようですが、意外と拾い物の演奏です。非常に骨太のメンデルスゾーンで、オーケストラのコンマスを務めている割にはソロでは自由闊達な表現で、この時代特有のテンポを崩した表現といい、独自のフレージングといいなかなか聴かせてくれます。ただ、バックのオーケストラが平凡な伴奏に終始しているのはやや残念です。YouTubeにはこの第1楽章がアップされています。
カッブリングされているチャイコフスキーは、さらに水が合っているような名演です。ロシアに近い中央ヨーロッパの風土は、チャイコフスキーの感覚に近いのでしょう。冒頭からよく謳うヴァイオリンの調べはよりメロディアスに響き、大きな流れを作っています。サポートはメンデルスゾーンよりは幾分充実していて、ギンペルをしっかり支えています。そのなかで、ギンペルのヴァイオリンは哀愁漂うロマンティックな表現で聴く者を惹き付けます。特にカデンツァの部分は秀逸で、思わず聴き惚れてしまいました。最近耳にしたチャイコフスキーの同曲の演奏の中では一番聴き応えがありました。世の中には、未聴の名演がまだまだ埋もれているということなんでしょう。
この演奏もYouTubeにアップされていました。レコードからの音源ですが、その素晴らしさの一端は聴き取ることが出来るのではないでしょうか。