ふたたび京都へ  2日目-伏見稲荷1 | geezenstacの森

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  宿は五条近くのホテルでした。最初は夫婦二人で予約したのですが、妻が都合が悪いということで、結局一人で行くことになりました。最初の予約をキャンセルして、改めてシングルで予約を入れ直していました。

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 しかし、着いてみると何とシングル利用でしたがタブルの部屋が用意されていました。ラッキーです。個人的に宿泊は寝れれば良いという感覚ですから必要十分です。さらに誕生日に旅行ということで誕生日割引が適用され、尚かつTポイントが使えるということで、何とワンコインに近い価格で宿泊することが出来ました。

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 ホテルを出て京阪の清水五条へ向かいます。五条大橋の西側に、大田垣蓮月の歌碑が置かれています。

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 この時まで、大田垣蓮月の事は全く知りませんでした。後で調べてみると、江戸時代後期の女流歌人だと判明。しかも、結構名の知れた歌人だという事が分かりました。京都三大祭りの1つである時代祭。その行列にも、大田垣蓮月は登場します。

歌碑には、次のように刻まれていました。山桜の美しさを詠んだ歌です。

「あすも来て 見んと 思へば 家づとに
手折るも をしき 山さくら花」

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 五条大橋にある扇塚(おうぎづか)です。

その昔、五条大橋の畔には時宗御影堂がありました。一ノ谷の合戦で平敦盛が亡くなると、その妻は蓮華院尼と名乗り、寺僧とともにこの地で扇をつくったそうです。扇型の石碑は扇の発祥と、敦盛の悲話を伝えています。

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五条の橋の擬宝珠です。


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 この擬宝珠は北側東のもので、
五条大橋は、五条通の戦時建物疎開跡に幅五十米の道路となり、昭和二十七年国道に指定されてから、京都市交通動脈の様相を帯びてきたので、ここに現代技術と美の粋を集めた長さ六十七米幅三十五米の鋼桁橋として架設された、影を鴨水に染め東山の翠に配した擬宝珠付石造高欄は、まさに王朝と現代を調和した文化観光都市の一つの象徴といえよう、疎水橋もこれにならい擬宝珠二筒を追補した
昭和三十四年三月京都市長  高山義三
と、記されています。

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 京阪伏見稲荷駅

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京阪の駅からの参道
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伏見稲荷正面の大鳥居です。早朝といっても8時過ぎですが、小雨がぱらついているので人影はまばらです。