豊田市美術館「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」 | geezenstacの森

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豊田市美術館「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」

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 先日の休みに豊田市美術館で開催されている「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」を鑑賞してきました。戦後を代表する日本画家、東山魁夷(1908-1999)の晩年の大作でありながら障壁画という事で、今まで見たことがありませんでした。どうも奈良は足が向かないようで、小学校の時の修学旅行でえらい目にあったという事がトラウマになっているのかもしれません。

 ただし、東山魁夷は昔から好きで名古屋市美術館で開催された展覧会には出掛けていますし、長野に住んでいたときは「長野県信濃美術館」に併設されている「東山魁夷館」に何度か足を運びました。それらの展覧会でも、唐招提寺の障壁画の試作品は展示されてはいましたがあくまでも下絵段階のものでした。実際、唐招提寺に出かけても特別拝観の時期以外は見る事が出来ません。この展覧会は、唐招提寺御影堂の修理が行われるに際し、通常は非公開となっているこの障壁画全68面を一堂に会して展示し、その全貌を紹介する東海地方では初めての貴重な機会ということで、出かけてみる事にしました。

 平明でありながら深い精神性と豊かな叙情を湛えた風景画で知られ、日展にも作品を発表していましたから国民的な人気を誇っていました。昭和31年に日本芸術院賞受賞、40年に日本芸術院会員となり、44年には文化勲章を受章しています。

 その中で、制作を受諾してから完成まで10年を費やした唐招提寺御影堂障壁画は東山魁夷の記念碑的大作です。ドキュメンタリーもNHKで放送されましたからご存知の方も多いのではないでしょうか。作者は多くの苦難を乗り越えて中国から来日し唐招提寺を開基した鑑真和上に捧げるため、日本や中国各地を歩いてスケッチを重ね、いく度も構成を練り、生涯のすべてをかける気持ちでこの仕事に臨んでいます。

 制作は二期に分けられ、第一期として昭和50年に奉納した《山雲》、《濤声》では彩色画で日本の自然を描く一方、第二期(55年奉納)の《揚州薫風》、《桂林月宵》、《黄山暁雲》では中国風景を題材に水墨表現に挑み、新境地を拓いています。

 出かけた日は小雨まじりで、多分空いているだろうと予想したのですが、豊田は車の街です。開場の10時には既に駐車場はほぼ満車の状態でした。チケット売り場の前は長蛇の列で、入場までに30分近く並びました。

 入り口を入ると、最初に展示されているのは制作過程の試作品が並んでいます。この障壁画がいかに推敲を重ねて作成されたものかがよく分かります。升目にさらに斜めの朱の線が引かれ構図の狂いの無い試作品が幾つも並びます。部分部分のパーツは単独の作品としても公開されているものがあります。実物の障壁画は全期間を通じて展示されていますが、スケッチや試作品は前期と後期に分けられているものもあります。障壁画5面のうちでも最大のものは「辰殿の間」の「濤声」でしょう。この「濤声」のスケッチは後期の展示になっていますからひょっとすると期間後半の方が人出が多いのかもしれません。

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 さて、実物の障壁画は「濤声」、「瑞光(試作)」、「景林月宵」、「揚州薫風」、「黄山暁雲」、そして、「山雲」の順で展示されていました。鑑真和座像のある厨子の扉絵は座像と一体になっていますから、今回の展示では試作品が展示されていました。

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 実際の設置と同じ間取りでこれらの作品が展示されています。手が届く距離で、その東山ブルーの「「濤声」が目の前に広がる様は圧巻です。展示では余分な柱がありませんから、隅から隅まで見渡せる俯瞰で鑑賞する事が出来ます。やはり、百聞は一見にしかず、ですな。

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 鑑賞していて不思議な事があり、「景林月宵」、「揚州薫風」、「黄山暁雲」は鑑真和上の故郷中国を慮って水墨画で描かれています。しかし、何気なく見る角度を変えるとそれが色彩をともなって見えてくるではありませんか。特に木々が風に揺れる「揚州薫風」は特に色彩感を感じ、朱や黄色の色合いが揚子江の対岸に浮かび上がり、しばし魅入ってしまいました。

 この豊田での展示は11日までですが、この後「九州国立美術館」で7月16日から公開されます。そちらでは、唐招提寺障壁画」だけでなく、その他の東山魁夷の作品も鑑賞出来るようですから、そちらの方面へ出かける予定がある人は、こちらの方がコスパは高いでしょう。