関宿の東の追分を過ぎると、後はずっと畑や川沿いを歩きます。そんな殺風景な東海道ですが、名阪国道の高架橋の下には広重の五十三次の浮世絵のバネルが飾られています。
あまり知られていませんが、道中には「太岡畷」があります。東海道でもっとも長い畷(なわて)が続いています。畷とはまっすぐ続く道の事で、この小野川沿いには現在では桜並木が植えられて散策路として整備されていますが、かつては松並木が続いていました。
JRのルート地図には関宿を出ると亀山宿までトイレは無いとの事でしたが、ルート上には寺や神社が幾つもあります。
そんな中ちょうど良い中継地に布気皇蔦館太神社(ふけこうたつたじんじゃ)がありました。ここで、トイレ休憩と昼食を摂りました。
そのちょっと先に「野村一里塚」があります。三重県には12カ所の一里塚がありましたが現存するのはこの一里塚だけで、樹齢400年の椋下がそびえ立っています。
ただ、本来道の両側にあるのですが、残っているのは北側だけです。
光明寺の鐘楼は山門の上にあります。どうやって2階に登るのだろうと見てみると、長い引き綱で下から撞くようでした。そのため一階の梁すれすれに鐘が吊られています。
竜川に架かる橋をわたるとそこが「京口門」になります。亀山は城があった宿ですから城門としての位置付けであった門です。
亀山の城下は宿が二分された形になっており、当時の面影を偲ぶ建物はあまりありません。そこで、町起こしの一端として各家に昔の屋号を掲げたプレートが掲示してあります。面白い試みです。
屋根の上に鯱と鳩が載っています。ここの枡形を曲がった所に「旧舘屋」があり、ここが、ひな祭りスタンプラリーの応募箱の設置会場となっていました。
盛大な吊るし雛をはじめ、色々なひな飾りを見る事が出来ます。
中には、桃太郎雛やかぐや姫雛、さらには賛美歌雛という変わり種まであり、見てみて思わず微笑んでしまいました。
さて、宿としては関宿がしっかり見応えがあるのに亀山宿は今では殆ど往時の姿が残されていないのが残念です。