カエターニ/ショスタコーヴィチ「交響曲第7番」 | geezenstacの森

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オレグ・カエターニ
ショスタコーヴィチ「交響曲第7番」

曲目/ショスタコーヴィチ
交響曲第7番ハ長調 Op.60『レニングラード』[73:32]
 I. Allegretto 25:52
 II. Moderato (poco allegretto) 11:30
 III. Adagio 18:33
 IV. Allegro non troppo 17:37
 録音:2000年12月

 

指揮/オレグ・カエターニ
演奏/ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団

 

録音/2000/12 ミラノ・オーディトリウム

 

Arts classics CSM1035

 

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 オレグ・カエターニ指揮、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団演奏のショスタコーヴィチの交響曲全集を購入して少しずつ聴いています。これもこの年末に掛けて散財したCDの一つです。何しろ現段階で一番安いショスタコの交響曲全集で、10枚セットで1990円という破格値です。ヤンソンスのセットもかなり安かったと記憶していますが、このカエターニのセットはそれ以上の魅力でした。まあ、昔から好きな作曲家でしたから全集が出るとせっせと買い集めていたことも影響します。レコード時代は英EMIのキリル・コンドラシンの全集を筆頭に、これまでCDではヤンソンスを初めロストロポーヴィチ、ルドルフ・バルシャイ、ハイティンク、ヤンブロンスキー盤と揃えてきました。特にこの第7番は好きな曲なので数えたら枚挙にいとまはありません。

 

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 演奏をしているミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団は再編により消滅したミラノ・イタリア国立放送交響楽団を母体に1993年創設されたオーケストラです。1999年にリッカルド・シャイーが音楽監督に就任し、2005年までその任に付いていました。その後ルドルフ・バルシャイが2009年まで引き継いだようですが、高齢ということもあり、2009年からは、中国生まれのアメリカ人女性指揮者のシエン・チャン(张弦)が音楽監督になっています。一方のオレグ・カエターニは1956年スイス生まれのイタリアの指揮者です。実際の所はイーゴリ・マルケヴィチの息子さんなんですね。カエターニというのはマルケヴィッチの2番目の奥さんのドンナ・トパツィア・カエターニの姓ということで、マルケヴィチの息子というレッテルを嫌ったらしいです。しかし、血は争えないもので、1979年のイタリア放送のコンクールで優勝したり、1982年のカラヤンコンクールで3位に入賞したりという実績を残しています。

 

 その彼が、シャイーの招きで客演したコンサートで好評を博し、後に全集になるショスタコーヴィチの交響曲全集の第1弾として録音したのがこの交響曲第7番の「レニングラード」というわけです。余程自信があったのでしょう、まあ、前身が放送局由来のオケということで、アンサンブルは基礎ができていたし、シャイーに鍛えられていたのでしょう。最後には盛大な拍手が入るということではライブですが、曲中のノイズは殆ど聴こえません。いわゆるリハーサルセッションというものでしょう。

 

 第1楽章、「人間の主題」からやや速めのテンポをとります。実演ではもうちょっと早めなのですが、ここではしっかりとした足取りが感じられます。この録音最初はCDフォーマットで発売されましたが後にSACDでも発売されています。もともと24ビット96Khzで収録されていますから音は太く厚みがあります。ヴァイオリンの第2主題を優しく歌わせ、小太鼓の音をバックにした「戦争の主題」をテンポよく進めて行きます。ヴァイオリンのメロディラインをやや短めに丸めて演奏している点が印象的で悲愴感や英雄的なアジテーションはなく、クールな中に躍動感ある音楽を作り上げています。クライマックスに登場する「人間の主題」の金管群をはじめとする全管弦楽の咆哮の迫力は充分ですが、初期に属するこの録音ではそれほど溜を作らず、わりとあっさり目にし上げています。実演手世はステージの右にトロンボーン。中央にトランペット、左にホルン群を配置していますが、この録音では金管群は左に纏められているようです。父親のマルケヴィチのような鋭角さはありませんが、イタリア人のもつ熱い高揚感というものを感じさせ、音楽そのもののスケールの大きさを味わう喜びを感じさせます。クライマックス後のファゴットの長いソロも素晴らしく、構成的にはボレロを模していますが、最後に静寂さを持ってくるのは5番と同じようにショスタコらしい終わり方です。
 
 カエターノの横顔はマルケヴィッチを彷彿とさせいて、目から鼻にかけての線は父に似ています。しかし指揮姿はずいぶん違います。マルケヴィッチと正反対の短い指揮棒で、マルケヴィッチの大きなアークに較べるとコンパクトな指揮ぶりです。マルケヴィッチのリズムや響きの鋭さによって聴く者に緊張をもたらす指揮と違って、カエターニの指揮はマイルドなものになっています。周知のように、「侵行のテーマ(戦争主題)」は、バルトークが「オケコン」で堂々と引用して揶揄しますが、レハールのオペレッタの引用とまでは知らなかったようで、後に指揮者アンタル・ドラティに直接指摘された時、バルトークは、驚愕して複雑な表情をしたようです。バルトークは、自分の息子ほどの年齢のショスタコーヴィチの才能に嫉妬したのでしょうかね?

 

 第2楽章のモデラートは、やや弦のアインザッツが揃わない部分が残念ですが、味わい深い表情付けで柔らかいオーボエの響きは聴き入ってしまいます。木管のソロの見せ所が続きクラリネットもいい味を出しています。

 

 第3楽章はアダージョ~ラルゴですが、金管と木管のコラールに続く弦楽器のアンサンブルはやや軽めのアクセントで推移します。イタリアのオーケストラの特色でしょうか、弦のアンサンブルは歌心にあふれていて、カエターニの指揮はここでも深刻さや暗さはなく、ロマンティックで美しい旋律を奏でています。中間部は情熱的で、トランペット、ホルンをはじめ金管が輝いています。ショスタコの音楽はコラールが特色でこの出来遺憾によって全体のイメージが変わってしまいます。後半の弦によるコラールの再現、それに続く旋律も艶艶としている。

 

 第4楽章は充実度が一段と素晴らしく聴きごたえがあります。フィナーレに向かって金管が咆哮しますが、まさに金管の炸裂です。カエターニの音楽は全体の構成がしっかりしているので、部分部分に副旋律を浮かび上がらせる仕掛けを施していますが、それが嫌みに聴こえません。モデラートになりすこし落ち着きますが、やがて輝かしいフィナーレにクレッシェンドしていきます。最後に「人間の主題」が、きわめて肯定的に明るく開放的に、「運命」の動機とともに圧倒的な迫力で鳴り響きます。そのスケールの大きさは一つの聴き所です。いわゆるロシア的な演奏でもなく、バーンスタインのような深刻で厳格な演奏ではないけれど、カエターニの人間賛歌のような包容力のあるスケールの大きな「レニングラード」も聴いておいて損の無いものでしょう。

 

 

 カエターニは頻繁に来日しています。今年も12月には読売日本交響楽団を指揮しに来日していますが、東京以外ではあまり公演が無いし、CDもあまり発表していないので認知度は今一歩といえます。エクストンは井上道義を出しているから、メジャー以外では日本コロムビアかキングぐらいからリリースされるといいんですがねぇ。