ガラスの地球を救え | geezenstacの森

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ガラスの地球を救え

著者 手塚治虫
発行 光文社 カッパホームズ

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 手塚治虫氏「最後のメッセージ。地球は死にかかっている 子どもの未来を奪うな…」と氏の存命中の講演、雑誌などの発言を1册にまとめてある。装丁、宇野亜喜良氏。---データベース---

 漫画家の手塚治虫が執筆した地球環境問題を取り上げた随筆集です。出版は1989年4月30日ですが、執筆途中の1989年2月9日に死去したために未完に終わってしまいましたが、書籍では手塚の講演会などでのスピーチも追記されなんとか出版にこぎ着けています。そういう意味では手塚治虫の最後のメッセージということが出来ます。手塚治虫の人生にはすさまじいものがあります。以前にも、手塚治虫の作品は数々取り上げていますが、それらの本などで知れば知るほど、漫画を書くために生まれてきて、死ぬ直前まで漫画を描いて死んでいったように思えます。そこまで、手塚治虫をのめり込ませたものは何だったのでしょう。まだ、何を伝えたかったのだろうかと考えるのですが、この本を読むとその答えがわかる気がしました。エッセイ集で、短い一つ一つのセンテンスの中に珠玉の言葉がちりばめられています。以下、この本の構成です。

『ガラスの地球を救え』刊行によせて
自然がぼくにマンガを描かせた
地球は死にかかっている
科学の進歩は何のためか
アトムの哀しみ
子どもの未来を奪うな
“いじめられっ子”のぼくをマンガが救った
先生がマンガに熱中させた
ぼくは戦争を忘れない
語り部になりたい
夢と冒険に生きる子に
親は子に自分史を語れ
時間の無駄使いが想像力を育む
やじ馬根性は健全なパワー
ブラック・ジャックのジレンマ
脳だけはつくれない
情報の洪水に流されるな
何が必要な情報か
アトムも破れない壁
異文化との衝突
オリジナリティは遊びの中から
路地裏こそ味がある
蝶の匂いがわかるか
人間の欲望
“悪”の魅力
負のエネルギー
マンガは本来反逆的なもの
ぼくは真剣なメッセージを送りつづける
『火の鳥』が語る生命の不思議さ
IFの発想
宇宙からの眼差しを持て

 「地球は死にかかっている。」本の中見出しの一つにあるこの言葉が、手塚治虫の思いを一言にしています。「そのために何かをしないといけない」と漫画を通じて発し続けていたのに違いありません。この本は1989年に書かれていますが、今の時点でもこの言葉は死語にはなっていません。たとえ月着陸を果たし、宇宙ステーション建造がどんなに進もうと、環境汚染や戦争をやめない限り、“野蛮人”というほかないのではないとこの本では書いています。戦争体験者としてのこの言葉は重いものがあります。
 
 この本では自分の作品を取りあげながら、そのそれぞれの作品に託した作者の思いを綴っています。『ネオ・ファウスト』ではー「…バイオテクノロジーがテーマですが、遺伝子を人間がいじりまわして、クローン人間や新しい生物をつくり出す、いわば悪魔の仕業かもしれぬ領域へ踏み込みことへの、ぼくの不安感、拒否反応の表現でもあります」と記し、手塚治虫のバックグランドが、医師であること、その中にみた希望と失望があらわれているのでしょう。クローン技術については、『火の鳥ー生命編』でも描かれています。クローンの本体の男がテレビプロデューサーで、クローン人間を狩るショーを提案します。法律的には、厳密な意味で人間ではないので大丈夫だということでした。ところが、その中にプロデューサーもまぎれこんでしまい、狩りの対象になり逃げるしかなくなっていきます。ラストはみずからの命を賭して、そのクローン工場を破壊するというデッドエンドでした。

 『ブラック・ジャック』では、もぐりだけれど、世界一の天才外科医ブラックジャックが、いろんな人たちの命を救っていきます。しかし、神の手を持つブラックジャックでさえ、救うことができない状況に遭遇し、医療の限界と、人の持つ運命という非情な巡り合わせにつぶされそうになっていきます。その背景で、手塚もブラックジャックも、常に「医療とは何か、人間の幸福とは何かという問い」を繰り返しているのです。

 そして、『アドルフに告ぐ』では小さい頃は素直でやさしくて、ユダヤ人の年上の少年を慕っていたドイツの少年が、ヒットラー・ユーゲントで教育を受けるうちに、いつしかキュゥ先方のナチ青年将校になっていく変遷を描いています。つまり、子供の教育という問題はよほど心しなければならないと述べています。

 この本が世に出た時も社会問題として地球温暖化、原子力発言の危険を含むエネルギー問題、PM2.5のような大気汚染の問題がありました。それに加えて現在でも毎日どこかである戦争、そこにテロリズムがグローバルレベルで危険になっている状況など、不安な材料は山のように増え続け、打つ手も問題を解決してくれるまでにはさらに遠い道のりになっています。

 子供の頃思い描いた地球は、無限の宇宙の片隅の銀河系の、そのまた辺境の太陽系の第4惑星でしかありません。ただ、この惑星は青い海と白い雲に積まれたガラスのように壊れやすい存在でありながら幾多の生物が生きている奇跡の星です。つまり、大宇宙から見れば、その中の粒子にも等しい存在が人間です。それでも、この粒子は自分が生きていること、そして、やがて死ぬことを意識してしまったのです。ほかのすべての生物のように、無邪気に生き、死んでいけない知恵を背負ってしまったのです。

 それは仏教でいう「業」なのかもしれませんが、「火の鳥」で描かれるその業は輪廻の思想と供に未来永劫に背負った性でもあります。手塚治虫は漫画にたくして、人間の業を我々ら突きつけているのかもしれません。