図説 指揮者列伝―世界の指揮者100人 | geezenstacの森

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図説 指揮者列伝―世界の指揮者100人

著者 玉木正之、平林直哉
発行 河出書房新社

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 カラヤンやバーンスタイン、フルトヴェングラーから小澤征爾や佐渡裕まで、クラシックの名指揮者100人の巨匠をまとめて紹介する。逸話や小咄満載の「辛口」決定版。---データベース---

 軟硬の取り合わせなんでしょうか。本業はスボーツライターで、最近は昼のワイドショーで毎日その顔を見る玉木正之氏と、辛口批評と過去の大指揮者の音源をひたすらCDで復刻し続けることで知られる平林直哉氏の組み合わせによる本です。ただし、図説とありますが図は一つもありません。写真ばかりです。この写真、最後に出典が記載されていますが、どうもおまかせみたいなところがあり、どういう基準でチョイスされているのか知りませんが、本文の内容とバランスが取れていません。もう少しマシな写真は無いの?というレベルでタイトルが泣いています。

 前書きは玉木氏、あとがきは平林氏が書いていますが、その文章は対照的です。指揮者とはこういう存在だという玉木氏の披露するエピソードは面白いのですが、その選出基準はつまびらかではありません。氏はオペラ関係の書物も書いていますから、そういう部分にウェイトがあるのは分らないでも無いですが、この指揮者100選にドミンゴが含まれているのにはびっくりしました。その紹介文で、

「ピアニストやヴァイオリニスト、他の楽器奏者から指揮者に転向した例は多い。が、歌手から指揮者は・・・・聞いたことがない。ましてや一流のオペラ歌手から・・・・は皆無。」

 とのたまっていますが、おいおいフィッシャー・ディスカウを忘れちゃいませんか。といいたくなります。ディスカウは1970年代から指揮活動をしていて、かなりのレコーディングをしていますからねぇ。それと、どういうことか、ゲルギエフの所では名前がヴァレリー・アサロヴィッチ・ゲルギエフ、また、デュトワの所ではシャルル・エドワール・デュトワとミドルネーム入りの紹介になっています。この二人だけミドルネームをつけているのは名人意味があるのでしょうか。?

 そして、極めつけは最後の最後、「あとがき」で平林氏がやってくれました。ハイティンク/コンセルトヘボウ、アバド/ベルリンフィル、バレンボイム/シカゴ交響楽団、マズア/ニューヨークフィル、サヴァリッシュ/フィラデルフィア管弦楽団、ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団、ブロムシュテット/サンフランシスコ交響楽団といった現代の有名指揮者の組み合わせを「無能」「ぼんくら」とバッサリと切り捨てています。

 ふたりの指揮者の擦り合わせがどういう流れで行なわれたかは知りませんが、平林氏はこう書いても、アバド、バレンボイム、サヴァリッシュは玉木氏が救出していますが、ハイティンク、ドホナーニ、ブロムシュテットは切り捨てられています。傾向としては玉木氏が現役指揮者中心、平林氏が物故指揮者中心に執筆しているといっていいでしょう。まあ、グランドスラムレーベルを主催している平林氏ですから当然でしょうが、ニコライ・ゴロワノフなんて指揮者はストコフスキーより先に紹介されています。氏のレーベルでも初期に発売された指揮者ですが、小生からいわせるとストコフスキーの亜流です。そして、ここでも指揮者としてアファナシエフの名を挙げています。いまとなってはいまとなっては指揮活動から撤退したピアニストで見当違いといわざるを得ません。

 若手指揮者で取り上げられているのはハーディング、ドゥダメル、そして今となっては何故と思う金聖響が取り上げられていますが、こんな内容では今後の指揮者界を背負っていく人物は期待出来ないという内容になってしまっています。過去の指揮者はそれなりに評価すればよく、今後を背負う指揮者にもう少し目を向けた内容で無いと気がめいるばかりです。小生としては中々興味深く読むことは出来ましたが、クラシック初心者が読んだら間違った方向に進んでしまいそうな内容です。