1日の日曜日は思い立って岐阜県の美濃市に行って来ました。調べると高速を使わなくても我が家から2時間弱で行くことが出来ます。その手前の関市までは仕事の関係でよく行っていたのですが、そこから先の美濃市はまだ行った事がありませんでした。昨年、美濃の和紙が世界遺産に登録された事もありますし、昨年末にNHK名古屋の地下通路で美濃和紙の明かりアートが展示されていたこともあって気にはなっていました。そんなことで夫婦で出掛けてみました。
ちょいと遅めに出発したこともあり、途中渋滞も無く順調に美濃市に到着です。丁度昼時という事もあり、道の駅で情報収集と食事をとりました。ネットで調べたら「飛騨牛どて煮定食940円」というものがあったのでそれを楽しみにしていたのですが、今はメニューにありませんでした。仕方なく、小生は「高山ラーメンセット」、妻は鶏ちゃん定食なる物を注文、しかし、味付けがやや濃く、何時もはスープまですべて飲み干すのですが、この日は止めておきました。


この道の駅は農産物の直売はありますが、それよりも花が色々品揃えがあり、鉢花よりも切り花がたくさん並んでいます。これは見逃せません。さて、この道の駅から長良川沿いを走ると「美濃橋」が直ぐ近くにあります。この橋、現存する日本最古の近代吊り橋で、大正5年に竣工されています。橋長113m、支間116m、幅員3.1mと日本最大級の支間を実現した吊り橋となっていて、人と自転車しか通れません。橋のたもとまで小倉山が迫っていて、奇岩がいい景色を形づくっています。個の景色を眺めた後、小倉山公園の駐車場に車を止めて町中に散策に出ましたが、ここに、小倉山城趾があります。写真は現存する石垣と土塁の上の本丸跡に建つ模擬櫓です。



さて、駐車場を降りて信号を渡るとすぐに「美濃あかりアート館」があります。今回はここと、旧今井家を訪ねるのが目的でした。この2館へ行くなら共通券がお得なのでそれを購入します。あかりアート館は昭和16年ごろに建てられた旧美濃町産業会館を利用しています。この建物は木造2階建のスレート葺で、外壁はタイル張り、上部下見板張り、正面の軒下には瓔珞飾りがあり、平成17年に国の登録有形文化財となっています。1階は和紙のあかりアート製品を販売するショップとなっていますが、今は入り口にひな祭りと干支の羊の和紙飾りが御出迎えです。



「あかりアート」の展示は2階です。階段を上がると暗闇の中に幻想的な柔らかい光のオブジェがずらっと並んでいます。まあ、その作品をご覧になって下さい。







幾つ見ていてもあきません。ここですっかり時間を取ってしまいましたが、次に向かいます。その途中で、海鼠塀のお宅がありました。これも風情があります。美濃市は明治末期まで「上有知(こうずち)」と呼ばれていました。戦国時代の武将「金森長近」は、関が原合戦の功によって徳川家康からこの地を拝領し、長良川畔に物資輸送の玄関口として「上有知湊」を開き経済の発展を目指します。金森長近没後の1615年に尾張藩領となっていますが、江戸時代から明治末期まで美濃和紙の産地として流通、交通の中心として栄えた町です。そんなことで、1911年(明治44年)上有知は美濃紙にちなんで「美濃町」と改名しています。岐阜を代表する地名を上有知が名乗る事については反対も多かったようですが、豪商たちが押し切ったそうです。




さて、この美濃市には1999年5月に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。その町並みの特徴が「うだつ」です。「うだつ」とは屋根の両端を一段高くし、火災の時の類焼を防ぐ防火壁のことで、後に装飾が施され富の象徴と言われるようにりました。美濃市には日本で一番多くのうだつが残っているそうですが、うだつを作るにはお金が必要なので、金持ちにしかできず、そこから「うだつが上がる」という言葉ができたそうです。豪商が多かった事が伺い知れます。別の説もあるようですが、「うだつが上がらない」の語源ともいわれています。そして、この町ではいたるところで「うまつなぎ石」があるのを見かけます。美濃では近世までの輸送手段として馬を多用したことから、大きな家の軒下には、こういう石に金具をつけたものが置いてあり、馬をつないだそうです。
うーん、中々む味わいのある町です。ということで続きます。
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