
あらゆるジャンルの音楽/録音に精通した嶋護が、自身の膨大なコレクションから106枚のクラシック音楽の名録音を厳選。その名録音たる所以を、一枚一枚書き下ろした究極的ガイドブック。---データベース---
この本の最大の特徴は音楽評論家が選ぶものではなく、オーディオ評論家の嶋護さんが、ご自身のコレクションの中から「名録音」と誰にでも推薦できる106枚のレコードを集めて解説した本であると言う事です。そう、ここでレコードと記したのは音源はCDが出現する遙か以前のレコード時代の名録音が収録されているからです。なんと、デジタル時代の録音からは僅か1点しか収録されていません。そして、こだわりは、ジャケット写真です。これだけでもこの本の価値が有るほどオリジナルのレコードジャケットのふんだんにちりばめられています。それも、表だけでなく、ジャケットの裏側、いわゆる解説の部分もきっちり収録しているのです。もう見ているだけで楽しくなってくるような本です。この本の表紙の画像でも分かるように、まず表紙には20枚の「レーベル」の写真がデザインされています。これと同じレイアウトで裏表紙にもやはり20枚分の「レーベル」を見ることができます。これを見ているだけでもレコードの楽しさが分ろうというものです。裏表紙には一点、CDのレーベルが収録されていますが、その味気ない事。それは、ソニーのグレングールドの「ゴールドベルク変奏曲」なんですな。裏ジャケットなどただの曲名を書いただけなんですから。
レコード時代はこのレーベルを見るだけでも楽しいものでした。ここでは、ジャケットにプラスしてこのレーベルの写真も収録されています。このデザインの違いでそのレコードがいつ作られたものかが分ります。名録音の多い「デッカ」はこの表裏だけで6点のレーベルが採用されています。レーベルの色だけで黒、赤、えび茶があり、さらにフェイズ4、エース・オブ・ダイヤモンドとたさいです。本文の中には小生もお世話になったリ・イッシューで使用された「SPA」レーベルも見つける事が出来ます。
これを見ていると、名録音は必ずしもレコード会社の規模とは比例しない事がよく分かります。クラシックの市場では絶大な人気を誇ったグラモフォンなどカラヤンものは一枚も無く数点しか有りませんし、CBSいわゆる米コロムビアも同様です。こちらもバーンスタインものは一点も含まれていません(DG録音は有ります)し、セル、オーマンディもありません。一つの特徴としては、近年ボックスセットでの復活が著しい、RCAのリビング・プレゼンスやデッカ、マーキュリー、EMIで8割を占めています。EMIが多いというのは個人的にはちょっと意外ですが、CDで再発されたものを聴いて意外といい録音が多いなという印象があるので、まあありかなとも思います。どうも、東芝の赤いレコードが印象を悪くしたんでしょうかねぇ。
さて、本文となると、それぞれのレコードに1ページ半ずつを与えて、ジャケットの表と裏の写真が紹介されることになります。「表」はともかく、「裏」、つまり「ライナー」にあたる部分まできちんと見せてもらえるのには、とても嬉しくなってしまいます。これは、「物」としてのLPレコードを懐かしむとともに、もしかしたらそこに記載されてある「ライナーノーツ」の文章まで読むことが出来るほどの解像度で印刷されていますから、文字情報としての価値まで付加されていて、ここでは芸術として楽しむ事が出来ます。そして、その本文が新しい発見だらけです。なにせ、今までどの解説にも書いてなかった詳細な録音データや、そのセッションについての裏話まで載っているんですから、これはマニアにはたまりません。こういう部分は音楽評論家では思いの及ばないところです。そういう点で、こういう感慨に浸る事が出来るのは故岡俊雄氏や長岡鉄男氏の著作でしょう。前書きで著者も書いていますが、アメリカのハリー・ピアソンの「TAS Super Disc List」と長岡鉄男氏の「外盤A級セレクション」を底本にしている事は明らかです。
さて、個人的にはターンナバウト、ボックスレーベルで記載されていた録音データの謎が解明出来た事がうれしかったです。このレーベルは自社録音では無く、ほとんどを「エリート・レコーディング」というところに外注していました。ですから、プロデューサー名もエンジニア名も記されていませんでした。しかし、この本ではそれが明らかにされています。ここでは61枚目のリファレンス・レーベルのラヴェルのレコードのところで紹介されているのですが、それに拠ると「エリート・レコーディング」はニューヨークに本拠を置くインディ・プロダクションで、実質はジョアンナ・ニクレンツとマーク・オウボールという二人のプロデューサー&エンジニア・チームの呼称だそうです。この本の中では、他にもボックスやノンサッチのスコット・ジョプリンの録音も手がけています。
この本の中で、マーク・オウボールの録音が音楽のフルダイナミックレンジと録音会場の音響インフォメーションをあまねく再現する事に定評があるそうです。ただし、例外的に別の54枚目のストラトキン/セントルイス響の録音ではダイナミックレンジが広すぎて3dBだけピークを潰して録音したようですが、リスナーにはそれが解らないだろうとうそぶいています。
この本で紹介されているのはほとんどがオリジナル発売された物を収録していますが、1960年代のカッティング技術はそれなりの水準でしかなかった事も指摘していて、必ずしもオリジナル・至上主義ではないようです。モノによっては最新の技術でカッティングされプレスされた再発盤の方がダイナミックレンジが広かったり、ブリエコーが改善されていたりとレコードとしての商品価値は上回るものがあるそうです。小生たちの時代はそれこそこの廉価盤での再発の恩恵にあずかった時代なので、それらのレコードがただも同然のような価格で売られているのは、ウン万円出して買う骨董的レコードよりも価値が有るそうで、ここは狙い目でしょうね。
最後に、この106点のレコードの中には日本盤が少なからず含まれています。それは今は無いトリオレコードだったりビクターだったりします。日本の技術も世界の中で通用するようになった歴史がこの中にも刻み込まれているのを知って、うれしくなりますね。この本は2011年に発売された物ですが、レーベルが股がるから既存のレコード会社では無理なので、どこかの出版社かメーカーがムック形式でこの本に登場した名録音をシリーズで発売してくれないものでしょうかね。さしあたって期待が出来るのがタワーレコードかディアゴスティーニなんでしょうが、夢の企画ですわな。