ムーティのレスピーギ「ローマ三部作」 | |
レスピーギ作曲「ローマ三部作」
交響詩”ローマの松”
1. Pines Of The Villa Borghese 2:31
2. Pines Near A Catacomb 6:39
3. Pines Of The Janiculum 7:39
4. Pines Of The Appian Way 5:17
交響詩”ローマの噴水”
1. Fountain of Valle Giulia at Dawn 4:26
2. Triton Fountain at Morn 2:35
3. Fountain Of Trevi at Mid-day 3:18
4. Villla Medici Fountain at Sunset 5:11
交響詩”ローマの祭り”
1. Circuses 4:42
2. The Jubilee 6:31
3. The October Harvest Festival 7:40
4. The Epiphany Festival 4:57
演奏/フィラデルフィア管弦楽団
P:ジョン・ウィラン
E:マイケル・シャディ
E:マイケル・シャディ
EMI CDC7473162

アバドと時を同じくしてレコードデビューしたムーティで、どちらもイタリア出身ということで好ライバル扱いされていました。まあ、レコードデビューはアバドが1967年、ムーティが1973年と少々開きがありますが、片やデッカから片やEMIからのデビューとあってレコード業界を賑わしたものです。そのムーティのレコードデビューはケルビーニのニ短調のレクイエムと地味なものでしたが、第2弾のヴェルディの歌劇「アイーダ」は鮮烈でした。オーケストラ物もチャイコフスキーの交響曲も第1番から録音していくという変なEMIの施策で地味が先行し、次もヴェルディの「仮面舞踏会」が控えていて、小生の中ではムーティはオペラの指揮者なのだという印象がついてしまいました。その頃はニュー・フィルハーモニアとの結びつきが強く、1973年にレコードデビューしたのもこのニュー・フィルハーモニア管弦楽団とでした。しかし、ムーティは1972年にフィラデルフィア管弦楽団、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、そしてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と集中的にデビュー、翌年にはシカゴ交響楽団、ボストン交響楽団にもデビューしていて世界が注目していたことを伺わせます。
そんな中でも、早くも1973年にはニュー・フィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者に就任しています。こうしてレコーディングの道が開けたのですが、1977年にはフイラデルフィア管の首席客演指揮者に就任、そして、1980年にはオーマンディの引退と供に5代目の音楽監督に就任しています。で、オーケストラ指揮者として初めてのヒットとなったのがこのレスピーギのローマ三部作です。何しろ1975年度のレコードアカデミー賞を受賞している名盤です。ましてや、アバドはレスピーギが嫌いということで録音を残していませんから、世間的に見ても、このムーティのローマ三部作は独壇場といってもいい存在です。フィラデルフィア管弦楽団もオーマンディ盤から10年を経ての録音ということで力が入っています。ここでも、ムーティの指揮のもと華麗なフィラデルフィア・サウンドが炸裂しています。小生は、オーマンディのレスピーギもお気に入りで、コレクションに締めるフィラデルフィア管弦楽団のウェイトは高いです。
冒頭の「ボルゲーゼ荘の松」 から目の覚めるようなスピード感と金管の滑らかなパワフルさを実感出来ます。レスピーギは多彩な打楽器群と、ミュートつきのトランペットのファンファーレのようなサウンドとハープとか木管とで構成された短いパッセージが、文字通りキラキラ輝く音楽を形成しています。イタリア人指揮者と華麗なフィラデルフイアサウンドが絶妙にマッチして華麗で、色彩豊かな演奏を繰り広げています。
「カタコンブ付近の松」は弱音で、ぶきみさが醸し出されて地下墓地へ誘われます。さすがフィラデルフィアの弦楽アンサンブル、それが盛り上がりトランペットのソロがグレゴリオ聖歌の旋律を奏でますがちょっと物悲しい音色で雰囲気が良く出ています。ところで、この録音会場はフェアマウント・パークのメモリアルホールです。ここにはオルガンは設置されていないはずですからこの後流れるオルガンの響きは合成なのでしょうかね。
次の「ジャニコロの松」はムーディ名減のメロディに乗ってクラリネットがややねっとりした響きで官能的な音色になっています。それに続くヴァイオリンのソロの音色と絡むようなチェレスタの音色も雰囲気が出ています。オペラの指揮者だけあってムーティはカンタービレの表現に長けていますが、この時代のフィラデルフィアのコンマスはノーマン・キャロルで歴代のコンマスの中で一番在任期間が長かったベテランで、ムーティの意向に良く応えています。オーマンディ、ムーティ、サヴァリッシュの3代に渡ってオーケストラを牽引しています。
最後の「アッピア街道の松」はどっしりとしたテンポで凱旋してくるローマ兵をインテンポで支えています。EMIの録音は何時もの平板なサウンドと違ってなかなか冴えています。デジタル初期の録音ですが、当時の本拠地だったアカデミー・オブ・ミュージックに勝るとも劣らない見事な響きを捉えています。
で、下は現在のシカゴ響との演奏でフィナーレのところです。こちらはバンダは使わずステージで演奏していますし、オルガンは電子オルガンを使用しているようです。
3部作で次は「ローマの噴水」です。第1曲の「夜明けのジュリアの谷の噴水」はちょっと遅めのデンポで、朝もやの中の風景のような印象です。フルートの響きが何処となく気だるさをさそうドビュッシーの「牧神の午後」のような雰囲気を醸し出しています。この静けさを破るのが。次の「朝のトリトンの噴水」です。ホルンの響きが、パーカッションと弦の輝かしい響きと供にきらめきを演出しています。この色彩感はさすがフィラデルフィアだと思えてしまいます。ムーティはそういう色彩感をうまく引き出していますね。一般には「ローマの松」に隠れてしまいますが、こういう演奏をされると、何でこの曲がもっと演奏されないのかという気にさせられてしまいます。それは「昼のトレヴィの噴水」にも引き継がれ、心地よいテンポで金管が晴れやかに雄叫びをあげます。観光客にも人気のある噴水ですから、これぐらいの派手さが欲しいですわな。さすが近代音楽だけあって、テューバが存在感のある響きで迫って来ます。その興奮を引きずりながら終曲の「黄昏のメディチ家の噴水」になだれ込みます。雰囲気は第1曲に似ています。こちらは夕景ですな。真っ赤な夕陽に照らし出される往年の名家の噴水ですが、メディチ家は1737年に断絶しています。ここではそういうもの悲しさもあわせて表現しているんでしょうなぁ。イタリア出身のムーティはそういうことを知り尽くして、こういう時代背景もレスピーギの音楽の中に表現しているのでしょう。気高さとともに没落の悲哀のようなものをしっとりと表現しています。いい演奏です。
ローマの祭の第1曲「チルチェンセス」を聴くとこれがお祭りなの?と思えてしまうようなどこか猥雑な響きのする曲です。まあ、元々が古代ローマ帝国時代にネロが円形劇場で行った祭で、捕らえられたキリスト教徒たちが衆人環視の中で猛獣に喰い殺される残酷なショーの音楽ですからしょうがありません。ローマの栄光とはこういう歴史の上に成り立っているんですからね。レスピーギはこの曲で思いっきり不協和音を使っていますから、こういう音楽、響きになるんでしょう。それでも、ムーティの指揮はどこかクールで第3者的立場で音楽を鳴らしているような魏がします。
次の「五十年祭」も古い賛美歌をモチーフとし、ロマネスク時代の祭(聖年祭)を表していて、世界中の巡礼者たちがモンテ・マリオ (Monte Mario) の丘に集まり、「永遠の都・ローマ」を讃える讃歌になっているのだそうです。レスピーギの3ブ作はどれもオルガンが使われていて、効果的にパイプオルガンの力強い響きが音楽に深みを作っています。このオルガンのバランスもよく考えられている演奏で、ムーティの統率力の確かさを感じます。
「十月祭」は収穫祭での人々の歓喜の様子が、見事に表現されている曲です。「ローマの祭」では一番好きな部分で、甘美なセレナーデがカンタービレで歌われる部分はいうこと無しです。ムーティ40代の演奏で、若々しい躍動感に溢れています。終盤はコンマスのノーマン・キャロルのソロも聴くことが出来る楽章です。
終曲の「主顕祭」はまだど派手です。さすがイタリアという雰囲気で、踊り狂う人々、手回しオルガン、物売りの声、酔っ払った人(グリッサンドを含むトロンボーン・ソロ)などが登場しますが、中盤のサルタレッロのリズムでトランペットがなかなかいい味を出しています。これでもかっ!ていうほど打楽器が登場しますが、それが様になるほどびしっと決まっています。オーマンディ以来の伝統なんでしょうかね。それにムーティのスポーティさとクールさが加わって、最高の名演がここに記録されたといえるのではないでしょうか。これは一聴に値する名盤です。