ケンペのブラームス交響曲全集 | geezenstacの森

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ケンペのブラームス交響曲全集

曲目/ブラームス
・交響曲第1番ハ短調 Op.68
・交響曲第2番ニ長調 Op.73
・交響曲第3番ヘ長調 Op.90
・交響曲第4番ホ短調 Op.98
・ハイドンの主題による変奏曲 Op.56a

 

指揮/ルドルフ・ケンペ
演奏/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

 

録音/1974年11月14、15,17日(第4番)
   1975年5月(第1番)
   1975年11月13、15日(第3番、ハイドン)
   1975年12月12、13,15日(第2番) ミュンヘン、ビュルガー・ブロイケラー

 

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 一粒で2度美味しいとはこういう物を言うのでしょう。何しろクレンペラーのウィーン芸術週間でのベートーヴェンチクルスとケンペのブラームスが一つのボックスセットに収録されているのですから・・・・10枚セットで1,500円前後で購入出来るのですから、とんでもなくCPの高いボッスセットです。で、今回は崎らケンペのブラームス交響曲全集をとりあげます。

 

 この録音、元々はドイツのBASFが原盤で、レコード時代はテイチクから発売されていました。BASFは日本でもカセットテープやオープンリールテープを発売していましたから記憶がある方も多いでしょう。日本で言えばTDKみたいなもんでしょう。TDKも一時はレコード業界に首を突っ込みレコードを発売していましたからね。そのBASFがレコード事業から撤退した後、ブラームスも含めた音源はACANTAというレーベルに譲渡されます。ここから世界中にライセンスされ、今までにも様々な形でリリースされてきましたが、最近ではメンブラングループの「FONOTEAM」という所が原盤を管理しているようで、そこからのライセンスという形でリリースされました。

 

 さてさて、ルドルフ・ケンペはレコード時代はEMIからリリースされていたベートーヴェンの交響曲全集で知るようになったのですが、ヨーゼフ・カイルベルトやオイゲン・ヨッフムらと並んでよく聴いていた指揮者です。彼の特徴は、若いころからゲヴァントハウス管などの首席オーボエ奏者としてスタートしただけあって、内声部に沈みがちな木管楽器をセンシティヴに鳴らす独特のバランス感覚から、手応えに満ちたドラマを描き出しています。このオーボエ奏者時代のゲヴァントハウス管弦楽団はブルーノ・ワルターが指揮者、シャルル・ミュンシュがコンサートマスター、フランツ・コンヴィチュニーが首席ヴィオラ奏者というそうそうたるメンバーを擁していました。こういうメンバーのもとで磨かれ、指揮の道に軸足を移していく事になります。王道のオペラ端を歩いて、1950年にはカイルベルトの後を受けドレスデン国立歌劇場の音楽監督になり、更には1952年ショルティの後任としてバイエルン国立歌劇場の音楽監督になっています。その後はアメリカに渡り、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の指揮者として活躍します。そして、1960年から1963年までバイロイトで「ニーベルンクの指輪」を指揮する栄誉を得ています。このオペラ指揮者時代にはウラニアに数々のオペラを録音して名声を得ています。

 

 小生の注目したのはその後の時代で、今度は一変してコンサート指揮者になります。イギリスのロイヤルフィルを長く指揮して、このオーケストラの黄金時代を取り戻します。その他にも、ここで聴くミュンヘンフィルやチューリッヒ・トーンハレ管の首席指揮者を務め八面六臂の活躍をします。ドイツ指揮界ではホープ的な存在でしたが、1976年肝臓がんで急逝してしまいます。日本に来日経験が無い巨匠の一人です。

 

 こういう経歴ですから、その指揮振りは冴えたリズム感と自身もオーボエ奏者であったことからくる各声部の透明で豊かな響き、歌劇場での活動に支えられた劇的表現といった積極的要素に富んでいて説得力の高いものになっています。で、このブラームスは、ケンペの特質である自然で流麗なフレージング、透明な音色感、生気に満ちたエネルギーの解放が際立った演奏となっています。

 

 この全集で最初に聴いたのは交響曲第1番です。本当の所はあまり期待していたわけではありません。でも、多分この第1番はケンペのお得意のレパートリーだったのではないでしょうか。調べると、ケンペがミュンヘン・フィルの常任指揮者になった最初の定期演奏会でも第1を取り上げています。その「第1」の冒頭を、ケンペはもったいぶらずにどちらかというとあっさりとしたテンポで始めます。速いテンポで小生的には好きなタイプの演奏では無いので、BGM的に聴ければいいや、程度に思っていたのですが、いやいや音楽が進行していくに従って、これはちょっと何時ものブラームスとは違うぞという気分になって来ます。
 
 そう、ここではいわゆる「両翼配置」の弦楽器の響きは非常に奥行きのある音楽を作り出し、そこに木管が随分と主張を持って鳴らされています。ACANTAやCDとして発売されたSCRIBENDUMレーベル時代より格段にいい音質で響く音はケンペの流麗な指揮の特徴を余す所無く引き出しています。ミュンヘン・フィルはケンペの後チェリビダッケに率いられるわけですが、オーケストラのアンサンブルはこのケンペ時代に既に完成の域にあった事が伺われます。コンサート・マスターはクルト・グントナーで、第2楽章では伸びやかな表現のもとケンペの指揮棒にぴったりと寄り添った響きのソロを聴かせますし、オーボエはヘルムート・ヴィンシャーマン門下生のゲアノート・シュマールフスが吹いていてそのうまさにほれぼれします。テンポの緩急も自然体で、大見得こそ切りませんが洋書はぴしっと押さえています。どちらかというと、どっしりとした重量感はありませんが、これが北ドイツとミナミドイツのオーケストラの違いなのでしょうか。
 
 しかし、小生にはこのケンペの解釈とオーケストラの鳴らし方のバランスにはあざとらしさが感じられず共感出来るものがあります。終楽章でも劇的にすることをケンペは避けており、ティンパニの打音は控えめに鳴らしています。ちょっと聴くと小ぢんまりとした印象なのですが、アルペンホルンの木霊の響きまではややほの暗くゆったりと音楽をすすめ、その後は次第にテンポが速まり弦楽合奏による第1主題からはぐんと音楽が加速していきます。聴かせどころと思われるコラールもテンポは落とさずに一気に押し進めていくあたりから音楽はさらに高揚して、浪漫的に波打つようになります。いい高揚感ですね。久しぶりにブラームスの第1を聴いたという感慨にひたる事が出来ました。

 

 

 この全集で最初に録音されたのは上のデータから分るように交響曲第4番です。第4は冒頭から激しく起伏に富む演奏です。第一楽章最初の長音は引きずるように始まり、テンポと強弱はどんどん変わっていきます。曲想からみると自然な運びなので、ぼーっと聴いていると何の工夫もない演奏に見えて、聴き込んでみると実に濃厚な演奏であることに驚かされます。ただし、この全集録音レベルが一定でないという欠点があり、この第4番はいささか録音レベルが低いのが気になります。そのため弦の演奏が同じ音量で続けて聴こうとするとやや細身の演奏に聴こえてしまいます。人間の耳は構造的に小音量だと高音と低音が引っ込んで聴こえる特性があるようなので、ここは少々ボリュームを上げて聴くことになります。

 

 セッション録音の常として、3日間のスケジュールで収録されている音楽は万全です。展開部に至るまでに一つの大きなうねりを作って全体の形を一つも崩さないというケンペの見通しの良さは見事でしかありません。第二楽章はこの曲で通常想像される寂寥や枯淡とはまったく異なるアプローチで、ほの暗さはあまり感じられません。特に木管パートは凛とした輝きにどこまでも満ちています。幾分速いテンポで押し進められ、まるで室内楽的響きである意味ブラームスらしさを一番感じる演奏になっています。の第二主題が弦楽器群で演奏される部分は、ケンペは作為的にテンポや音量、色彩を変えることなく淡々と演奏させながら、それでいて情感豊かに響かせています。第三楽章も煽るようなテンポではないので第2楽章とのコントラストは薄めですが、旋律線を気持ちよく歌わせています。終楽章もティンパニの響きが軽いので重厚感はありません。それでいて弦のうねりは情熱的でまるで油絵の絵の具の塗り重ねのような味わいを感じ取る事が出来ます。ケンペはブラームス最後の交響曲を墨絵のような響きにすることは微塵も考えていなかったのではないでしょうか。そのために、この曲を真っ先に録音した様な気がしてなりません。

 

 

 第2番では冒頭のコントラバスの響きが如何にもブラームスらしい重厚さを印象づけるのですが、ケンペの演奏はそうは問屋が卸しません。このミュンヘンフィルの特徴は他のオケのブラームスと何かが違うなと思い聴いて来たのですが、それが弦の響きにあるのではと思える事に突き当たりました。アンサンブルが柔らかいのです。強奏でも弦がきしまないというか、弦のそろいがほんのコンマ何秒遅れて揃うという事なのでしょうか、アインザッツの鋭さを感じません。でも、不揃いという事は無いのです。そういう感覚でのブラームスですからどうも他の指揮者の演奏とは一味違う印象を感じてしまうのです。最初に聴いた第一番でそれを感じ、この第2番でそういうイメージを更に深めました。これは最後に録音された物で、ケンペも総仕上げ的に捉えていたのかもしれません。まあ、こういう感覚をケンペの演奏で感じたので、ブラームスの交響曲を一気に4曲聴いてしまいました。

 

 

 最後に聴いた第3番にだけ、「ハイドンの主題による変奏曲 Op.56a」がカップリングされています。これはオリジナルのLPと同じ構成です。LPではB面最後に入っていましたが、CDでは最初のトラックに収録されています。ただ、この「ハイドン」も録音レベルが低いのでボリュームを上げて聴かないとこの演奏の良さは実感出来ません。「ハイドン」はブルーノ・ワルターの演奏が小生のディフェクト・スタンダードだったのですが、その仲間にこのケンペの演奏が加わりそうです。これを聴くと、このミュンヘンフィルとの演奏、「大学祝典序曲」や「アルト・ラプソディ」といった曲が録音されなかった事が残念でなりません。

 

 交響曲も他の演奏に準ずる演奏で、柔らかく力強いアンサンブルで始まり、室内楽的肌合いを濃厚に感じさせながらまるで、自らが第1ヴァイオリン奏者のようにオーケストラを引っ張っていきます。まあ、ここにオーケストラですから管楽器ががかぶさってくるわけですが、それがまるで間の手のように差し込まれます。阿吽の呼吸の演奏という物なのでしょうね。まさに第3楽章などはそれを感じてしまいます。ブラームスの交響曲のなかでは静寂の中で終わってしまうさくひんですが、何かまだまだ続いてほしいというこれで終わってしまう寂しさのような物を感じてしまいます。

 

 このケンペのブラームスだけ買うだけでもこのボックスセットはもとは取れるのではないでしょうか。