たそがれ長屋 | geezenstacの森

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たそがれ長屋

著者 池波正太郎/著 山本一力/著 北原亞以子/著 山本周五郎/著 藤沢周平/著
発行 新潮社 新潮文庫

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 藩の取り潰しを防ぐため、金策に奔走する宗兵衛に新たな試練が待ち受ける(「疼痛二百両」)。口入屋の番頭、長兵衛は突然暇を言い渡されたが納得できず(「いっぽん桜」)。たった一人の友達が、約束の日に現れなくて(「ともだち」)。腕ききの職人でありながら職を捨て、女房子を捨てた男のその理由とは(「あとのない仮名」)。伜の果し合いを止めるため、孫左衛門は一世一代の勝負にでる(「静かな木」)。落涙必至、感動人情時代小説五編を精選。---データベース---

 音楽の場合は、コンピュレーション、本の場合はアンソロジーというのだそうです。相関関係でいえばアンソロジー>コンピュレーションなのでしょうか。wikiによると、アンソロジーは一般に同一の文学形式ないし主題の下にまとめられた諸作家の選集を指す語だそうで、詩の場合が多く,〈詞華集〉〈名詩選〉などと訳されているようです。さて、この本は、たそがれという「老い」をテーマにした作品が集められています。選者は縄田一男氏で、この「たそがれ長屋」は人情時代小説傑作選の第3弾という形で出版されたものです。解説では、年金や医療制度など昨今の社会問題に鑑みて設定したテーマだと言うのが選者の説明で、格差が社会問題化して昨今「蟹工船」がブームで読まれたり、高齢者医療問題が表面化してきたこれからは「楢山節考」みたいな老人問題を扱った古典的小説が読まれるに違いないということで、この本も時代の流れに合わせて「老い」を扱った時代短編小説の傑作を集めた、と解説されています。出版は平成20年です。定本は下記になります。

池波正太郎『疼痛二百両』----「上意打ち」
山本一力『いっぽん桜』----「いっぽん桜」
北原亞以子『ともだち』----「深川澪通り木戸番小屋」
山本周五郎『あとのない仮名』----「あとのない仮名」
藤沢周平『静かな木』----「静かな木」

♦池波正太郎『疼痛二百両』
 江戸時代も中期以降は商人が台頭しますが、武士は借金だらけです。そういう弱小藩の悲哀を描いた一作です。ここでは弱小藩の江戸留守居役の苦々しさを描いたものでした。
藩の外交担当である留守居役は幕府の動向、他藩の情報を収集するのがお仕事で、藩の安泰に便宜を図ってもらうため、幕府の要人に対する接待や付け届けも欠かすことができません。その苦労の割りに、度重なる宴席など一見派手派手しい行動ばかりが目に付くため、周囲からの視線は冷たく刺さるようなこの役職です。二百両の支払いが迫っていますがしかし、藩庫には50両の金しかありません。胃がきりきりと痛みます。その大原宗兵衛に若かりし頃の遊びのツケが発覚します。羽目を外した、松平家の高木彦四郎とともに遊んだ女に娘がいたのです。その事を確かめに深川州崎天神の茶店に出掛けますが、そこで娘が無頼どもにいじめられているのに出くわし、思わず刀を抜きます。若き頃の血が騒いだのでしょう。
 この事件の後、大原宗兵衛は胃の痛みも無く、爽快な朝を迎えます。そして、隠し棚の中からこつこつと溜め込んだ228両の金を取り出します。28両は娘のために残し、200両を藩のために用立てる事にします。バカな殿を持つ家臣ほどばかばかしいものはないとつぶやきます。また、胃がキリリと痛みます。

♦山本一力『いっぽん桜』
 店主の代替わりにあわせて大店を引退させられた筆頭番頭の長兵衛が、自分の仕事への自負と愛着から、なかなか新しい環境になじめずにいる月日を描いたものです。大店では異例の待遇で別れの宴を催して送り出してくれるのですか、新しい店に移ってからも「うちの店は」という時の「うち」が、知らず知らずに以前の大店をさしてしまっているのです。いつまでも未練があるのですねぇ。競合の店が、長兵衛を料亭に誘います。引き抜きかと期待しますが、それは情報の聴きだしでしかありませんでした。失望した長兵衛は、まったくの畑違いの魚屋に勤める事になります。しかし、そこでも大店時代の方法を強引に押し進めます。しかし、それは魚屋では通用しないものでした。ところが、ある事件をきっかけに長兵衛はあるがままの現実を受け入れる事になります。長兵衛の人生には共感出来る部分も多く、またラストの展開は日本人ならではの感性でしょう。人情味のあるいい一編です。

♦北原亞以子の『ともだち』
 身につまされる一編です。仕事一筋で生きて来た人にはカルチャーショックではないでしょうか。この先迎える老いの日々に不安を募らせているおすまさんの話です。お花見で出会った同じ年頃の女、おもんさんと交わし、意気投合した二人はもう一度会うことを約束します。しかし、その約束の日になっても、おもんは姿を現しません。なぜならおもんも出会いの時に嘘をついていたのです。女性の見栄の張り合いがこういう出会いを招いてしまったのです。しかし、二人は本当の姿をさらけ出す事でお互いを理解しあいます。出来事としてはとてもささやかな物語ですが、女性らしい感情の起伏の細かさが作品の陰影となってほのぼのとした暖かみが伝わって来ます。木戸番のおかみさんのお捨さんが登場しますから、これが泉鏡花文学賞を受賞した「深川澪通り木戸番小屋」の一編である事が分ります。

 北原亞以子さんは昨年亡くなっています。合掌!

♦山本周五郎の『あとのない仮名』
 元植木職人・源次が主人公です。ちょっとファンタジックな風合いの作品で、読み終わってそう言う事だったのかと気がつく中々味のある作品です。最初はただの女ったらしの物語かと思わせますが、実は総出はありません。途中から、ちゃんと植木職人の矜持が発揮されます。それが、凄いこだわりを持っているという事での事件の一編に仕上がっています。仕事に没頭すると家をふらりと出たまま帰らない日々が続くこともあり、まるで風来坊のような生活で、それでいてね向こうの方から女が寄ってくるというなかなかのいい男です。本人はこれが正しいと自分のみ痴話進んでいきますが、それは世間の認識とはちょっと違っています。後半のこのどんでん返しが見事です。後半の源次以外の人が語る、他の人間から見た源次の過去が明かされるようになると、まるで仮面が剥がされていくように状況は少しずつ変化していきます。
 
 一途な植木職人ですが、それは変化に付いていけない悲哀でもあります。家族からも、仲間からも見放された源次の目の前には、仲(新吉原)の明るい灯火が見えてくる所で物語は終わります。

♦藤沢周平『静かな木』
 この本のタイトルはどことなく「たそがれ清兵衛」を思わせますが、ラストはいかにも藤沢周平という雰囲気の作品です。息子に家徳を譲り穏やかな隠居生活を送っている孫左衛門ですが、ある日、釣りから家に帰ると、嫁いだ娘がやってきていたと、嫁が言います。めったなことではやってこない娘の来訪に良くない知らせを感じた彼が出かけていって確かめると、なんと孫左衛門の次男が果し合いをするというのです。相手は藩の要職にある男の息子。孫左衛門は親子二代での因縁かと悟ります。家の減俸にもつながった過去のいきさつを息子たちに語り、事を収めるために老骨にむち打って動き始めます。まさに、たそがれの老武士です。親に取ってはたとえ成人しても息子は息子です。

 相手は藩の家老です。一筋縄ではいかないことは分っています。そこで、昔同じく減俸処分になった仲間と志を同じくして、過去の不正事件をネタに果たし合いの阻止に動きます。話し合いは決裂しますが、相手は刺客を放って来ます。孫左衛門は必至に刺客の足を払い怪我を負わせます。

 最近、友人から「誉生」という言葉を教えてもらいのした。この孫左衛門は「余生」ではなく、まさにこの「誉生」に輝きを見いだした老武士と言えるのではないでしょうか。小生の人生もかくありたいと思いたいものです。いい作品に出会えました。