吉原裏同心 流離 | geezenstacの森

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吉原裏同心 流離

著者 佐伯泰英
発行 光文社 光文社文庫

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 安永五年、豊後岡藩の馬廻役神守幹次郎は、納戸頭の妻汀女と逐電した。幼馴染みの二人は追っ手を避け、当てのない流浪の旅を続ける。やがて江戸に出た幹次郎は、吉原遊郭・四郎兵衛会所の名主に剣の腕を買われ、用心棒となった。ある日、彼は遊女が読んだ俳句から吉原炎上を企む無頼集団(ごろつき)を突き止める。その裏には、心中事件に纏わる悲劇が!? 長編時代小説の力作!---データベース---

 2001年から始まった「吉原裏同心」シリーズの第1作です。当初勁分社文庫で発売されていたときは「逃亡」のタイトルで発売されていました。それが、光文社から再発された時に今のタイトルの「流離」に改められた作品です。この物語は安永5年(1776)から始まります。豊後竹田の岡藩の馬廻役の神守幹次郎が納戸頭を務める藤村壮五郎の女房汀女とともに逐電する処から物語はスタートします。そして、舞台となる江戸に出たのが天明5年、そして吉原に裏同心として雇われたのはその翌年になります。その報酬は年25両で家賃は会所持ちという待遇で、妻女の汀女共々浅草田町の左兵衛長屋に住む事になります。時の将軍は第十代徳川家治の治世です。

 冒頭の第1章で、駆落ちと江戸に流れるまでの9年の逃亡生活が描かれます。安永5年(1776)、豊後岡藩の城下町で、納戸頭を務める藤村壮五郎の女房汀女が馬廻役の神守幹次郎と逐電します。二人は幼なじみで、汀女が藤村壮五郎に借金の形で妻になり、虐待を受けていた事に対して立ち上がり手に手を取っての逃亡です。下男もこの逃亡を見て見ぬ振りをして、藤村壮五郎気がついた時には、既に旅違いへ脱出していました。しかし、妻仇討の許しを得て蛇貫こと肥後貫平とともに二人を追います。藤村壮五郎一行に追いつかれた神守幹次郎は自己流の薩摩示現流を駆使して反撃に出、藤村の右腕を切り落とし、蛇貫の右肩を砕きます。しかし、死には至らなかった事で、二人は神守幹次郎と汀女は危難を乗り越え、旅から旅への生活を送ることになります。本当は、ここで二人を殺しておけば後の逃亡生活は送らなくても住む者をねと思ってしまいますが、それではストーリーが続きません。何しろこの作品は藤村の放つ刺客の影に怯えながらの物語で、現在も書き継がれているのですから,,,,,

 途中で立ち寄った金沢では、小早川彦内が道場主を務める眼志流居合の道場に通い、示現流の弱点を補う居合術も身につけます。そして、あっという間に九年がたち、二人は江戸に流れ着きます。すでに神守幹次郎は27歳になっています。江戸では、やはり最初追っ手の影を感じながらの生活ですが、何しろ江戸には岡藩の屋敷があります。岡藩中間の甚吉は幹次郎の知合いで、藤村らが江戸にいることを知ります。そして、追っ手の中に汀女の実弟・信一郎がいることがわかります。幹次郎は信一郎を藤村壮五郎一味から抜けさせるために、機会をうかがいます。その信一郎には、吉原羅生門河岸の切見世のおみねという馴染みの女郎がいることを探り当てます。幹次郎はおみねをたずね、信一郎が今度たずねる時にはすぐに知らせて欲しいと頼みます。その知らせが届いたのは天明五年の師走のことで、幹次郎はすぐに駆けつけますが、信一郎はおみねと足抜けを計り吉原大門の前で藤村壮五郎らと吉原会所の者ともめている。吉原での出来事は吉原のしきたりで処分する事が認められています。それを藤村らは無視して二人に刀を振り回し殺してしまいます。また、吉原の男衆も一人殺されます。これで吉原が黙っている訳にはいきません。岡藩には厳しい沙汰が下されます。信一郎とおみねは吉原四郎兵衛会所の計らいで、下谷春慶院に葬られます。本来なら足抜けですから無縁仏の浄閑寺が当然なのでしょうが、武士に斬り殺されたという事でこういう扱いになったのでしょうか。その吉原の当時の見取り図です。羅生門河岸は西側のお歯黒どぶ側にあることが分ります。

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 この吉原は元和四年(1618)に庄司甚右衛門が幕府に願い出て江戸の日本橋に傾城地を集めたのを始まりとします。しかし四十年後、明暦の大火(1657)を機に、幕府は遊里を浅草寺裏の田圃の一角に移します。ここはそれ以前の三戸藩のゴミ捨て場でもあった所です。ここに移ったあとを新吉原といい、ふつうここを吉原と呼びます。吉原はお歯黒どぶという塀に囲まれ、吉原の廓法によって町政を自ら行っていました。その中心となるのが四郎兵衛会所である。由来は楼主・三浦屋四郎左衛門の雇人・四郎兵衛が初代の会所の名主を務めたことに生じています。ここでは当代は七代目となる七軒茶屋山口巴屋の主が務めています。本名は精太郎。天明7年(1787)で52歳になります。

 さて、浪人の当代は幹次郎は日々の糧を得るための仕事探しをしています。ある時口入れ屋を訪れると場破りをしてもらいたいという仕事があります。雇い主は常陸屋の仙右衛門と名乗り、四両でその仕事を請け負います。道場は浅草橋場町にありました。無頼者の熊坂玄碼を倒すと門弟はそそくさと逃げ出します。それは、四郎兵衛会所の主の腕試しでもあったのです。吉原は幕府公認の遊里故に町奉行所の支配を受けていました。しかし、出入りする客や足抜けをしようとする遊女の取締のためにいる隠密廻り与力、同心は天下太平の時代でその剣術などがおろそかになっていた時代でもあります。そこで、幹次郎には、隠密同心が表同心なら、吉原の裏同心になってもらいたいと頼まれます。遊女たちは吉原にいるかぎり安穏な生活ができます。その彼女たちのための生活を守ってもらいたいという計らいです。そして、汀女には俳諧を望む遊女たちに句を教え、その中で耳目となって幹次郎を助けて欲しいという願いです。さて、こうしてタイトルの吉原裏同心が誕生します。

 後半の三章は、その吉原で起こる事件の数々が描かれていきます。汀女は心に染まぬ最初の結婚生活の間も唯一心の支えとなった俳諧の心得をもとに、遊女たちに読み書きや詩歌を教えつつ、彼女たちの心の悩みに目を配る役目を果たします。こうした遊女の心に接し、汀女が気に留めた梅園という女の読んだ句から、一つの物語が語られます。そこには吉原炎上の野望が隠されていました。また、七夕のおり、燈籠見物に南町奉行の山村信濃守が訪れた際には、生卵がぶつけられるという事件が発生します。これには、過去の殺人事件が絡んでいました。幹次郎は生卵から今は切り見世の遊女に成り下がっているきくを尋ねます。さして、最後の事件はやくざ絡みの新造の話になります。吉原での水揚げは処女である事が条件です。しかし、ここに落とし穴がありました。三浦屋の新造・磯松は近いうちに金座の後藤庄三郎によって水揚げされることになっていたのですが、どうもやくざが絡んでいるようなのです。そこで、汀女がある策を講じます。笑っちゃいますが、これで六百両とも噂さける水揚げは無事執り行われます。

 これらの事件の間でも、幹次郎は岡藩の刺客に何度も襲われます。まあ、その都度切り捨てていくのはスーパーヒーローものでは当然でしょう。親しい甚吉も捕まるという危機に陥りますが、先ずは危難を乗り越えて物語は順調な滑り出しを追えます。この小説、夏目影二郎始末旅よりは設定がきちんといっていて読みやすそうです。