チェリビダッケのショスタコーヴィチ |
曲目/
ショスタコーヴィチ:交響曲 第1番 ヘ短調 作品10
1.第1楽章 Allegretto 9:20
2.第2楽章 Allegro, Meno Mosso 5:21
3.第3楽章 Lento, Largo 10:34
4.第4楽章 Allegro Molto 10:52
ショスタコーヴィチ:交響曲 第9番 変ホ長調 作品70 *
5.第1楽章 Allegro 4:24
6.第2楽章 Moderato 7:01
7.第3楽章 Presto 3:28
8.第4楽章 Largo 3:01
9.第5楽章 Allegretto 7:11
10.バーバー:弦楽のためのアダージョ Op.11** 9:34
指揮/セルジュ・チェリビダッケ
演奏/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
演奏/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1994/05/31,06/02,03
1992/02/09*
1992/01/15,17,19,20** ガスタイク・ホール ミュンヘン
1992/02/09*
1992/01/15,17,19,20** ガスタイク・ホール ミュンヘン
P:トリステン・シュレイアー
E:ペーター・アーバン
E:ペーター・アーバン
EMI 0 85616 2

この一枚も、チェリビダッケの「フランス・ロシア音楽集」に収録されている者です。チェリビダッケのショスタコーヴィチは以前に第7番を取り上げています。その演奏は若き日の遺産だったのですが、このデジタル収録されたショスタコの1番と9番の組み合わせは驚愕の演奏です。そもそもショスタコの交響曲第1番は、学生時代に作曲されたいわば習作のような作品です。その作品がここでは交響曲第9番を圧倒するような迫力で演奏されています。はっきりいって、交響曲第1番を今まで軽くみていました。いくつか全集を持っていますが、ここまで真剣に聴いた事は無く、他の作品の付け合わせのイメージでとらえていたというのが本当の所です。うーん、ショスタコ1番をここまで克明に表現した録音って他にないんじゃないでしょうか。チエリビダッケの手に掛かると、交響曲第9番よりも長大な作品の主無真が感じられ、演奏時間にしてもそれだけ巨大な作品に仕上がっています。
初演の時から絶賛されたのは、そういう曲の持つ本質を聴衆が敏感に聴き取っていたからなのでしょうし、ブルーノ・ワルターもこの曲の素晴らしさを見抜き、いち早くベルリンフィルとの演奏会でこの曲の国外初演をしているほどです。
まだ、この作品ではショスタコの代名詞ともいわれるコラール風の旋律も出てこないのですが、ちょっと聴いただけで毛氈率の扱い方はショスタコだと分る個性に溢れています。ショスタコといえばパロディとしての他の作曲家の引用が多いのですが、ここでも第1楽章の冒頭はリヒャルト・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」の旋律を引用しています。しかも、それをこの交響曲自体の大きなモチーフにしてしまっている所が凄いです。チェリビダッケは、そういうショスタコの諧謔性を変に強調したりせず、巨大な交響詩の様な捉え方で一音一音を揺るぎないパーツとして表現しています。例によって遅いテンポで克明に刻まれる響きは、この交響曲が実は非常に深刻な音楽性を秘めた曲だという事を明らかにしています。第1楽章は、弱音器を付けた独奏トランペットとファゴットによる軽妙で不安さの伴う導入部から開始されます。チェリビダッケはこの旋律の持つ不安定さから全曲をシリアスな交響曲として捉えているのでしょうか。
第2楽章もアレグレットとは並の作曲家でない事を伺わせます。ここでも、低音弦とクラリネットによるユーモアな主題で開始されるという手法をとっています。この楽章ではピアノも使われており楽器編成の上からも非凡です。初演時は、この楽章がアンコールされたというのも頷けます。で、実際はこの2楽章と後半の2楽章はかなり趣きが違うので戸惑う所なのですが、チェリビダッケの演奏ではそういう違和感を感じさせません。ここがこの演奏の凄い所です。録音データからは3日分のソースから編集されているという要素もありますが、それにしても、手兵だったミュンヘンフィルをここまで見事にコントロールしているテクニックには脱帽です。
交響曲第9番は、好きな曲でよく聴きますが、これも異質なショスタコーヴィチです。この曲はあまたの作曲家が大作をぶつけてくるのに、ショスタコーヴィチはあえて、軽妙な小曲を配して世間に問いました。もちろんソビエト当局からはいわゆるジダーノフ批判を受け、苦境に立たされることとなった作品です。そのため、迎合作品として第10番が書かれるわけで、カラヤンなんかはその第10番しか録音していないのは何とも奇妙な話です。まあ、そうは言ってもショスタコは己の道を通したという事は立派です。
第1番も衝撃的な演奏ですが、この第9番もそれに負けず劣らずといった所でしょうか。チェリビダッケはこの曲を度々取り上げていて、若き日にモノラルでも録音しています。それも、結構テンポの遅い演奏なのですが、この晩年の演奏は更に遅めのテンポ設定で悠々自適の演奏を繰り広げています。まさにチェリ・マジックとでもいうべき演奏です。ただ、この第9番は曲自体が、アイロニーに満ちた作品で軽妙さが不可欠な要素となっています。そういう意味ではチェリの指揮は分析的すぎて、軽妙洒脱さが失われてしまっているのがちょっと残念です。まあ、聴いてみて下さい。
とくに第2楽章は、ベルリンフィルとの演奏では5分台で演奏していますが、このミュンヘンフィルとは7分台とその遅さが目立ちます。まあ、オーケストラがうまいのでだれるという事は無いのですが、こうしてショスタコの曲を2曲続けて聴くと同じような切り口にいささか戸惑いを感じます。交響曲第9番は5楽章もありますが、それでも、全体は25分ほどと小粒です。それでも第5楽章はかなりテンポのメリハリをつけて少しは軽妙さを取り戻しています。で、調子が出て来たな、と思える所で終わってしまうのがいささか残念です。この録音はライブですから拍手も収録されていますが、第1番では終演後「ブラボー!!」の声が掛かっているのに、交響曲の9番ではそれがないのはやはり、聴き手も少し戸惑っている所があったのではないと推察されます。
最後に収録されているのはバーバーのアダージョです。これがまた超名演です。ま、編集の努力の成果でもあるのでしょうが、この曲に対してありがちの、ことさらカンタービレを効かせてドラマチックに謳い上げるといった演奏にはなっていません。スローなテンポはお得意のチェリですが、ここはクールにテンポもチェリビダッケにしては早めのインテンポで淡々と演奏していきます。それゆえに、この曲の雰囲気というか、本質を見事に表現しています。ビブラートを抑えつつもチューニングの行き届いた弦の音は、まさに燻し銀の音色です。何しろ4日分の演奏を編集しての収録です。エンジニアの努力もあってこの名演が完成されたといってもいいでしょう。