ドライブと桶狭間古戦場公園 | geezenstacの森

geezenstacの森

音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

ドライブと桶狭間古戦場公園

イメージ 1


 先月車を買い替えました。といっても中古車です。車は動けば良いという認識ですので新車は要りません。丁度前の車がこの12月に車検切れになるのでその前に掘り出し物があったらという事で捜していた訳です。前の車もそうですが、gooなんかのサイトとでチェックしていると時にポット掘り出し物が見つかります。とはいっても近郊でのチェックですから玉は限られますけどね。それでも、こまめにチェックしていると良い出物があります。これもその一台でした。そんなことで、見つけた翌日早速販売店を訪問です。ネットでチェックしますが、中古車はやはり現物を確認しないと、いろんな落とし穴がありますからね。

 まあ、許容範囲を持って車種、価格、装備の点で何処のレベルで妥協出来るかでしょう。事前チェックでオーディオとしてはカーステレオは必需品です。中古車の場合、カセットとかMDとかが装備されている物が特に軽自動車の場合多いですからね。チョイスしたのはアルパインのCDが装備されていました。さらに、年式の割にはETCも装備されていたのが決め手になりました。車種はスズキワゴンR、前車と同じです。売れている車ですからやはり玉は豊富です。

イメージ 2
 

 さて、せっかくETCがついているのでそれを試すために今回高速を利用する事にしました。試し運転ですから、一番手頃な高速で何処に行こうかと考えた時、浮かんだのが「桶狭間古戦場公園」でした。我が家からは30km圏内で、しかも「名二環」でストレートに行けます。正式には「名古屋第二環状自動車道」というのですが、地元での表示は名二環」です。元々は名古屋IC・高針JCT - 名古屋西JCT間が東名阪自動車道としてしられていたものです。ところが、2011年3月接続した名古屋南JCTにて伊勢湾岸自動車道と接続する際、豊田・静岡方面から伊勢・京都方面に向かう車が誤って進入する恐れがあるため、2011年3月20日に道路名称を変更したのです。もともとは料金が均一区間でしたが延長に伴い、30kmで料金が変わる事になりました。我が家からは、その30kmの最も上限のインターとなる楠インターから有松インターまでの利用です。

イメージ 3
 

 「名二環」は以前は東名名古屋インターまで頻繁に利用していましたが。それより先は通行した事が無かったのでいい機会でした。一般道を通れば1時間30分近く掛かります。それが僅か24分で行くことが出来ます。昼間の時間帯はETC割引で400円が300円になります。これは利用しない手はありません。これは、帰りのルートになりますがこの有松ー楠間のドライブ映像がYouTubeにありましたので貼付けます。大半が半地下のルートだという事が分ります。途中で覆面パトに捕まっている車がありましたが、名古屋高速と同じ扱いですから最高時速は60kmですからスピードの出し過ぎには注意です。


 さて、有松からは国道1号線で桶狭間へ向かいます。インター輪出るのにちょっと渋滞があります。何しろこの辺りは国道1号線は片側1車線ですからね。

イメージ 4
 
イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7


 有松インターから桶狭間は直ぐです。インターを出たらものの5分ほどで到着です。ここは名古屋市緑区桶狭間北にあります。一見、普通の公園に見えますが、よく見てみるといろんなポイントがあるんです。それは公園の南側全体が地形を利用したジオラマになっている事です。このジオラマ、桶狭間合戦時の織田軍と今川軍の城砦や当時の軍の配置ジオラマです。オラマを見てみると、青い石と赤い石が点在しています。
これは、
・青い石 ⇒ 織田軍の城砦
・赤い石 ⇒ 今川軍の城砦
を示しています。また今川義元が陣を置いたと考えられる、おけはざま山も再現。単なる石の壁に見えますが、ちゃんと山の形状をしていますよね。

イメージ 8


 そして城砦の配置を知る上で欠かせないのが街道。「城あるところに街道有り」という言葉通り、当時の城は何らかの街道を抑えていました。ここもそのひとつです。ここは鎌倉街道(鎌倉往還)、東浦街道が合流する地点を表しています。ちなみにこの街道がジオラマ内の歩道になっていてご近所さんが犬を連れて散歩していました。

イメージ 9


 公園内にある織田信長と今川義元の銅像です。中央に近世の曙という文字が見えます。中世から近世への分来たんとなったのがこの桶狭間の戦いという位置付けなんでしょう。

イメージ 10

イメージ 11


 実は桶狭間の古戦場は愛知県豊明市にもあるのですが、昭和時代の初めに「桶狭間古戦場の碑」が鞍流瀬川の底から引き上げられ、この頃より有松町の田楽坪を今川義元戦死の地とする主張が本格的になったようで正面には「桶狭間古戦場」、背面には「文化十三年丙子五月建」とあり、途中で欠損しているために以降の文字は不明だが、製作年は1816年(文化13年)とみられ、ここからは駿公墓碣(すんこうぼけつ)という墓碑が、田楽坪のねず塚から出土しています。

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15


 まあ、園内には、他に、今川義元の墓碑、義元馬つなぎの杜松、義元首洗いの泉、漢詩碑、合戦の解説板などあり、全国から歴史愛好家など多くの人が訪れる桶狭間古戦場の中心的な史跡です。