マイ・フェイヴァリッツ・ポップス2 | geezenstacの森

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マイ・フェイヴァリッツ・ポップス2
 
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 ソロシンガー編のトップはアンディ・ウィリアムズでしょうか。数々のヒット曲を放っていますが、映画音楽絡みが多いのに驚かされます。「ゴッド・ファーザー愛のテーマ」、「モア」、「ある愛の詩」、「ムーン・リバー」など枚挙にいとまがありません。日本にも何度も来日していて、エド・サリバンよりも遥かに人気がありました。日本語でのレコーディングもいくつか残しています。その中から「ある愛の詩」です。

 

 

 トム・ジョーンズはイギリス出身の歌手ですが、人気の頂点の頃はラスベガスで活躍していたので当初はアメリカの歌手と間違えたものです。パワフルでダイナミックな歌唱は異色な存在でした。「ラヴ・ミー・トゥナイト」はそんな彼を印象づけてくれた曲です。

 

 

 青春時代はフォーク全盛でしたが、ボブ・ディランは知りません。その後の世代としては筆頭はサイモンとガーファンクルでしょう。このグループも1970年前後がピークでした。方向性の違いで解散する事はよくある話ですが、このデュオがサイケっ゛井下と気は不思議な金地がしました。アートのソロは昔日の輝きは微塵も感じられないからです。彼らかこのグループでしょう。最盛期のアルバム「明日に架ける橋」はミリオンセラーです。でも、その中で「コンドルは飛んでいく」は素朴な響きでフォークの原点を歌っているようで好きでした。

 

 

 

 フォークの世界では、バフィ・セントメリーが知られた存在でした。カナダ出身のインディアンの血を引く彼女は映画音楽との関係も深く、「イチゴ白書」の主題歌「サークル・ゲーム」やキャンディス・バーゲンの主演した「ソルジャー・ブルー」の主題歌も歌っていました。そうそう、「愛と青春の旅立ち」にも関係していて、ジャック・ニッチェは彼女の夫です。

 

 

 MORのど真ん中だったのがカーペンターズでしょう。男女の兄妹のデュオというのも魅力で何よりもハッピーな気持ちにさせてくれる歌が多かったのが印象です。中でも、合唱で歌える事が魅力の「シング」は一番気に入っていました。カレンは拒食症で亡くなってしまいましたが、この病気を広く世間に知らしめたのも彼女でした。

 

 

 イギリスでこのMORに位置するのはクリフ・リチャードでしょう。日本ではそれほど騒がれませんが、ヨーロッパでの人気は大変なものです。先日突然彼の「ビック・シップ」という曲が、頭中で駆け巡りました。ということで、この曲を聴いてみましょう。1969年のヒット曲でクリフの1969年10月の2回目の来日コンサートにあわせて発売されました。プロデューサーはノリー・パラマーで、まさにMORのど真ん中の曲です。

 

 

 今では「サンレモ音楽祭」の名前を聞く事はありませんが、60-70年代はそれこそここからヒット曲が次々誕生していました。中でもジルオラ・チンクェッティはヒット曲連発でした。「夢見る想い」や「愛は限りなく」は大賞受賞曲でしたし、1969年の「雨」は大賞曲よりも日本ではヒットしました。何よりも、日本語で歌ってくれていた事が凄いです。そんな「雨(La pioggia)」を聴いてみましょう」

 

 

 フランスの大御所といえば「シルヴィ・バルタン」でしょう。彼女のヒット曲は数々ありますが、個人的にインパクトがあったのは「哀しみのシンフォニー」でしょうか。クラシック音楽に歌詞をつけてポピュラー音楽にして歌うというのは、最近の「ジュピター」などそれほど珍しい事ではありませんが、この曲の第1楽章に歌詞をつけた曲がこの作品です。元々、「愛よ永遠に」という題名でレイモン・ルフェーヴルとかポール・モーリアがレパートリーにしていましたが、1972年にシルヴィ・バルタンが同じ第1楽章にイタリア語の歌詞をつけた「哀しみのシンフォニー(原題はCaro Mozart)」をヒットさせました。バルタンは「哀しみの兵士」という曲が日本でも大ヒットしたので2匹目のどじょうを狙ったんでしょうな。でも、このおかげでイージーリスニング界はタイトルで混乱しました・・・この曲バックはポール・モーリアなんですよね。

 

 

 70年代に忽然と登場したのはミッシェル・ポルナレフや、ジョー・ダッサンだったでしょうか。日本ではダニエル・ビダルの歌う「オー・シャンゼリゼ」がヒットしましたがオリジナルはこのジョー・ダッさんでした。サングラスのおっさんミシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」と、「オー・シャンゼリゼ」を最後に聴いてみましょう。オー・シャンゼリゼは本人が日本語で歌っています。残念ながら彼は1980年に心臓発作で亡くなってしまいました。

 

 


 ポップスの世界はアメリカ中心ではないという時代が60-70年代でした。イージーリスニングの世界がそれを後押ししていたのは間違いありません。ポール・モーリア、レイモン・ルフェーブル、フランク・プゥルセル、マントヴァーニ、ノーマン・キャンドラーなんかがひしめいていましたからね。次はそのイージーリスニングを取り上げてみますか。