近くを自転車で散歩しながら街角の花の写真を撮っているのですが、ちょいとご近所の親戚まで足を伸ばしたついでに、名古屋城の遺構に行ってみました。名古屋城の築城当時は、今の正門の位置に榎多御門があり、明治時代の濃尾地震で倒壊した為、元江戸城の蓮池門を明治四十三年移築しました。これは、名古屋城が明治26年離宮となって以来、天皇、皇后陛下の馬車が当時の榎多門は櫓門の為、梁の高さが低く、通れない為元江戸城の蓮池門を移転した訳ですが、昭和20年の戦災で焼失してしまいました。その後名古屋城再建時、天守郭に先駆けて、昭和34年5月1日、名古屋城正門として鉄筋コンクリート工法により、旧来の形状をそのまま新築したものです。この規模は高さ12m二階建て延面積は298hm白壁造り、瓦葺き、鯱は青銅製、扉は欅造り(けやき)で三枚取り付けられ、正面の二枚は高さ4m幅1.5m鉄の板金が打ち付けられ、その重量も一枚で2.4トン厚さ20cmで、現在の城門としては国内第一の大きさだそうです。三の丸西に有った、元清水甲斐守家の車寄(くるまよせ)は、現在名古屋市西区児玉町の大矢家が買受けここに移転されてます。車寄とは往古、屋敷の玄関で牛車で来て乗り付けた所で、その後籠で乗りつけた所の屋敷玄関です。
今回はここに行ってみたわけです。この辺りは幼稚園に入るまで住んでいたところで、丁度「児玉小学校」の南東角の西になります。


ここの車寄は、向唐破風の付いた素木造りの門ですが、背面の構造から見ると恐らく車寄を改造したものの様だそうですが、昭和33年12月27日名古屋市文化財に指定されています。この大矢家から直ぐ北側には信長、秀吉に仕えた「丹羽長秀邸」の跡の石碑があります。余談ながら、羽柴秀吉の羽柴は、丹羽長秀の「羽」と、柴田勝家の「柴」から名付けたものと云われています。この辺りは戦災に遭っていないので道が細く入り組んでいて車では中々近づけません。自転車ぐらいがちょうど良いでしょう。

さて、その道すがらで写真に収めたのが立ち葵とアラゲハンゴンソウなどの花々です。




立ち葵は八重の濃淡の違うピンクや白い一重が見事な花を付けていました。今が一番の見頃でしょう。


こちらは「アラゲハンゴンソウ」です。漢字で書くと「粗毛反魂草」で、キク科オオハンゴンソウ属の多年草です。北アメリカ原産の植物で、大正時代に日本に入って来ています。全草を硬く粗い毛が覆い、葉質はざらついていることが名前の由来です。オオキンケイギクがピークを過ぎたのでこの時期はこの花が一番目立っています。まあ、容姿はミニヒマワリの様で、真ん中の筒状花は黒紫色をしているので直ぐ分ります。開花が進むと花びらが垂れ下がるのも特徴でしょう。

個の近くには黄色い「カンナ」も咲いていました。梅雨に入る頃から10月頃まで咲く熱帯アメリカの花です。写真のカンナは園芸品種らしく、背丈はそれほど高くはありませんでした。花弁のように見えるのは実は雄しべが花弁化したものだそうです。花の形態はやや特異で6本ある雄しべが1本を残してすべて花びらになり、雌しべはへら状になります。花色は先に紹介した緋色の他、ピンク、オレンジ、白などがあり、葉に斑点や模様のはいるものも多く非常にカラフルです。


今、「アガパンサス」があちこちで咲き乱れています。白い花のものもありますが、この花色を見ると別名の「紫君子蘭」というのも頷けます。初夏と晩秋と2回花を付ける品種もあるようで、初夏はやや薄い色目、晩秋の方が濃いブルーになるようです。

最後はようやく開花した我が家の「姫ひまわり」です。この「姫ひまわり」は少々複雑で、我が家の品種はキクイモモドキ属のものです。本家のキクイモは地下茎で増えますが、モドキの方は地下茎に塊茎(イモ)を作らないのが「モドキ」の理由らしいので、繁殖は種からになります。そして、あちこちに咲いている「姫ひまわり」はヒマワリ属の花で、もうちょっと見栄えがいいようです。
今日のバックはダニエル・センタクルツ・アンサンブルで「哀しみのそれアード」です。