百万都市はこうして動いていた。暦と時刻から、グルメな江戸っ子を満足させた野菜や魚の調達ルートまで。住まいや職業、服装にお化粧、日常生活を彩る行事や娯楽まで、八百八町で暮らす人々の生活。治安を守る奉行所と役人をはじめ、栄華を極めた大奥から、下級武士の内職まで、将軍家と城下に暮らす武家の素顔。フルカラーの図版で徹底解説。===データベース===

こまめに捜すと、最近は江戸時代関係の書籍が結構発売されているのに気がつきます。この一冊はそれこそ、パソコンの「できる!シリーズ」と装幀がよく似ています。で、一つのテーマに沿って見開き2ページでコンパクトに解説が纏められています。大きく5つのジャンルに分けて、その中で江戸の町の成り立ち、人々の暮らし、江戸人の趣味趣向、武士階級の生活、といった具合にテーマを細かく設定して全部で60項目を解説しています。最後は江戸近郊の代表的な観光名所を8カ所取り上げています。最後には簡単な江戸時代の年表が付いていて時代の流れを確認することが出来ます。そして、各章ごとに理解度を確認するためのクイズが用意されるという凝った作りで中々楽しめます。まるでテレピのハウツーものエンタティメントのような面白さがあります。内容は以下のような構成です。
目次
第1章 江戸の町はこのように成り立っていた!(江戸の歴史―家康が移って来る前はどのような状態だった?;江戸の範囲―江戸は東京23区よりも広かった?人口はどれくらい? ほか)
第2章 江戸の人々はこんな暮らしを送っていた!(裏長屋―賃貸ワンルーム!庶民が住んだ裏長屋の住み心地は?;湯屋―常連客の社交場だった銭湯。どのような過ごし方をしていた? ほか)
第3章 江戸っ子が愛した文化、遊び、娯楽…(花見―江戸っ子も花見を楽しんだ?特に人気だった名所は?;花火―江戸っ子が熱中した花火見物。隅田川の花火大会はいつから始まった? ほか)
第4章 江戸住まいの武家の暮らし(江戸城―幕府の権威の象徴!大城郭・江戸城はどれくらい広かった?;徳川家―15代続いた徳川将軍家。歴代の将軍にはどのような人物がいた? ほか)
第5章 大江戸名所めぐり(日本橋―五街道の起点となった江戸の中心地;隅田川―四季折々の興趣が尽きない風流の地 ほか)
第1章 江戸の町はこのように成り立っていた!(江戸の歴史―家康が移って来る前はどのような状態だった?;江戸の範囲―江戸は東京23区よりも広かった?人口はどれくらい? ほか)
第2章 江戸の人々はこんな暮らしを送っていた!(裏長屋―賃貸ワンルーム!庶民が住んだ裏長屋の住み心地は?;湯屋―常連客の社交場だった銭湯。どのような過ごし方をしていた? ほか)
第3章 江戸っ子が愛した文化、遊び、娯楽…(花見―江戸っ子も花見を楽しんだ?特に人気だった名所は?;花火―江戸っ子が熱中した花火見物。隅田川の花火大会はいつから始まった? ほか)
第4章 江戸住まいの武家の暮らし(江戸城―幕府の権威の象徴!大城郭・江戸城はどれくらい広かった?;徳川家―15代続いた徳川将軍家。歴代の将軍にはどのような人物がいた? ほか)
第5章 大江戸名所めぐり(日本橋―五街道の起点となった江戸の中心地;隅田川―四季折々の興趣が尽きない風流の地 ほか)
徳川15代をざっと眺めてみると以外にも第4代家綱とか11代家斉が長生きしていることが分ります。それに比べて初代家康と第2代秀忠の治世が短いのに改めてビックリさせられました。名君といわれた家光や吉宗は在位はそれほど長くはないのにかなりの改革を断行したということがよく分かります。個人的には、昨年両国の「江戸東京博物館」を訪れ100万都市を支えた上水設備の充実に驚いたものですが、この本でも神田上水に加え玉川上水が江戸市民をしっかり支えていたことを再確認しました。
日本橋が魚河岸であったことは広重の浮世絵でも知っていましたが、最盛期には問屋商人209人、問屋数126軒を誇っていたというから一日で千両のかもが動いたというのも納得出来ます。1970年代は秋葉原は電気街に変身していましたが、その直ぐ北側に神田市場があって昔は「やっちゃば」と呼ばれていたのが今となっては懐かしいですね。

今でも昔からの年中行事が続いていて、桃の節句や七夕何かは特に有名ですが、それらが含まれる五節句のうち「重陽の節句」だけは何故か廃れてしまっています。菊の節句ともいわれ、旧暦の9月9日がその日だったようですが、菊は邪気を払い長生きをもたらす花として信じられていたようで、前夜に菊の花に綿をかぶせ節句当日に露で湿った綿で体を拭くという風習があったようです。調べると、邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりもしていたようです。また、菊に関する歌合せや、「菊合わせ」という現代で言う菊のコンクールが盛んに行われるようになったということで、この菊のコンクールや鑑賞を行う風俗だけは現代にも残っていますね。たしかに菊は食用もあることですし、この風習は復活させても良い様な気がします。
江戸時代後期には大店として日本橋界隈に呉服店が集中していたのは知られたところです。時代劇には悪徳商人として越後屋が良く登場しますが、本当は伊勢屋や近江屋という屋号が多かったようです。そうそう、松坂屋も明和5年に江戸に進出していますが、この店に11歳の新選組副長の土方歳三が丁稚奉公していたことを先日訪れた松坂屋美術館の展示で知りました。
江戸時代はエコの時代ということで昨今の省エネには見直されていますが、小生らの子供時代もどちらかといえばこれに近い生活をしていたことを今更ながら思い出します。物心ついた時には扇風機もまだ無かったですからね。涼をとるのはもっぱら団扇で、縁側で蚊取り線香をたきながら井戸水で冷やした西瓜をほおばっていたのを思い出します。江戸時代はこれに加えて納涼船で川遊びということまで出来たようで何ともうらやましい限りです。
なんといっても、江戸時代は戦争の無い天下太平の世の中でしたから、庶民がペットを飼っていたことは想像に難くありません。特に人気のあったのはネズミを捕らえる猫に人気があったようで、犬はそれほどでもなかったようです。夏は金魚売り、秋は虫売りなどが繁盛したようで、それ以外にもうずらが鳴き声が良いということで珍重されたようです。
江戸という町は100万都市ですが、武士がその半分を占めるという得意な社会でした。つまりは人口の半分が非生産者だったということです。ただし、まったくの非生産者であったというわけではないようです。武士階級にも色々割るわけで下級武士など、とても給料だけでは生活出来る状況ではなかったようで、副業としてアルバイトをしていたことが知られています。御徒町の御徒士組は朝顔の栽培や金魚の養殖、青山の甲賀組は傘張り、大久保の伊賀組はつつじづくり、他にも巣鴨の植木づくりなんかも行なわれていました。忍者の入らない平和な世の中ではこういうことをしないと生きてゆけなかったんでしょうな。
東京には江戸東京博物館の他に深川江戸博物館なんて施設もあるようです。次回東京を訪れた時は是非とも寄ってみたいものです。