
浮世絵250年間の名作を網羅した華麗なる全集。---データベース---
最近「浮世絵」にのめり込んでいます。先日もちらっと書きましたが、古書店などをめぐりめぼしい絵師たちの作品集を買い集めています。今まで入手した物は写真のように代表的な絵師の物が中心になってはいますが、写楽以外は未知の作品が多いのに驚かされます。特に北斎、広重、写楽についてはかなりの作品を目にして来ているわけですが、残されている作品というのはそれを遥かに超える物があるということを実感しています。
特に写楽はその活動期間が長きに渡っているので、代表作の「富嶽百景」、「北斎漫画」以外にも数々の作品が残されています。特に今回、この画集で初めて目にしたのは北斎の出自ともいえる勝川派の得意としている役者絵や美人画など今まで目にしたことが無い作品に目を奪われました。北斎は画号を30回も改名しているのですが、その初期の春朗、「可侯(かこう)」等の落款の作品はあまり目にしたことがありませんでした。その春朗期の美人画などは、まるで春信からつながる作品の趣があります。また、役者絵などは八頭身の構図などを見ているとリアリティに欠ける部分が有りイマイチインパクトがありません。



さて、先の高橋克彦氏の「浮世絵探検」を紹介した時に、北斎の別刷りの「凱風快晴」を紹介していますが、この絵はこの画集の中にも収録されている物です。藍刷り版といわれるもので、富士の輪郭を藍の色で浮き彫りにしていますが確かにバックの鰯雲も印刷されていますので同じ版木を使っている物の別刷りであることが分ります。こういう、別刷りは「遠江山中」にも存在し、こちらは色数を増やして出版されています。でも、こちらの方が後刷りということです。

ただ、この浮世絵体系の写楽では、晩年の小布施での業績がまったく紹介されていないなどの欠落があり、昭和50年の発行といえども北斎の全貌は知ることが出来ないという時代であったことが伺われます。
最近でこそ、歌磨に関してはテレビドラマでも取り上げられるようになって来ていますが、小生の子供時代の歌磨と言えば美人画よりも春画の歌磨という方がイメージが強かったように思います。なにせ、「歌磨」といえば巨根の代名詞と捉えられていた時代ですからね。その歌磨については専用の一冊と、別に英之と組んだもう一冊が出版されています。歌磨とその時代の美人画の作品を集めた物で、歌磨の作品は後期の物が収録されています。
その中で興味深かったのは、歌磨が雨の風景を描いた物で、「にわか雨」と題された大判錦絵三枚続きの絵で、写真はその中の左の部分ですが、木陰で雨宿りする人たちを描いています。面白い作品でリアリティと非リアリティが混在する作品として目が止まりました。図版中履物穂はいている非とはただ一人、作品全体としても13人の人物が描かれていますが、履物を履いているのは図版の塵除けで髪を隠している女性と、若侍の二人だけなのです。そんなことで、一般庶民を描いていることが分ります。また、リアリティを感じ目のは乳房を露にした女性が耳を塞いでいる様子から、雷がなっていることが伺えます。処が、リアリティを感じないのはその雨の描き方です。激しいにわか雨ですが、雨はいっさい人物には降り掛かっていません。傘の部分は雨が当たっているのが分りますが、人物にはまったく雨が降り掛かっていないのです。こういうところが風景画家の広重やリアリティを追求する北斎とは違い、あくまでも人物を中心に据えて描いている歌磨との大きな違いなのでしょう。

写楽の巻では写楽だけでは間が持たないということでか、補足としての浮世絵として、長崎画や上方の絵師、更には富山版画の作品も収録されていて初めて目にする物でした。また、広重に関しては続巻で東海道五十三次や名所江戸百景が用意されているところから、それ以外の作品を収録してしてこれも中々の見物です。とくに、切手を収集していた頃一番印象に残っていた「月に雁」が収録されているのは嬉しかったですね。少年向けの「切手入門」みたいな本で、花形的に扱われていたのがこの「月に雁」と菱川師宣の「見返り美人」でした。当時1万数千円していたと思います。切手しか知らなかった頃は、漠然と大きい絵なのかなと思っていましたが(高い切手だったし)、実際に見ると、ちょっと大きめの短冊くらいの大きさです。見返り美人もこの前見ましたが、こちらも小さかったですね。月に雁の切手は機会が無くて、未だに実物を見たことがないです。まぁ元の絵を目の前にして、切手の実物の話を云々するのも、なんだか可笑しい気もしますが。

国芳、英泉を扱った一冊も、興味深い物でした。最近ではスカイツリーを描いた「東都三ツ股の図」が話題になりましたが、真骨頂は『相馬の古内裏』でしょう。大判3枚続きで、山東京伝の「善知(うとう)安方忠義伝」より、安宅太郎光国が妖術を使う滝夜刃姫(たきやしゃひめ)と戦う場面です。三枚続絵は一図ずつでも構図が成立するように作画するのが普通ですが、その慣例をまったく意にとめない大胆さは国芳ならでの作品です。日本のホラー漫画の元祖みたいなものです。渓斎英泉の名前を初めて知ったのは「木曾街道六十九次」の作品を観てからです。広重とは一味違う街道の絵に魅せられたものです。



まあ、暫くはこの「浮世絵体系」を眺めて楽しみたいと思っています。