
会津の下級武士・新之助は、西洋砲術を学ぶため、全国から秀才が集まる象山塾に入門するが、放物線やら火薬量の計算やら、ちんぷんかんぷん。同じく新参者の薩摩藩士・八郎太とは、歳も数学が苦手なのも一緒で意気投合、互いの藩の内情すら語りあう仲に。だがまさか、好きになる女まで一緒とは…。幕末の動乱期、友として時に敵として交わり続ける男たちの生き様を、清水流の視点で軽快に描く。---データベース---
久しぶりの清水作品です。結構時代小説も書いている人で、今回は大河ドラマ「八重の桜」でも舞台となる会津藩の一人の武士が主人公です。氏の時代小説の最高傑作は今まで読んだ中では「金鯱(きんこ)の夢」でしょうかね。それ以外にもこの小説のような幕末を描いた「開国ニッポン」、伝記小説となる「]http://blogs.yahoo.co.jp/geezenstac/50498768.html 龍馬の船]」、「上野介の忠臣蔵」、「http://blogs.yahoo.co.jp/geezenstac/49458223.html 尾張春風伝]」など、ごろごろしています。
さて、この小説の主人公、秋月新之助は実在の人物ではありません。そして、当然ながら薩摩藩の橋口八郎太も実在の人物ではありません。あくまで清水氏の創作上の人物ですが、描かれる歴史は史実そのものです。いや、下級武士という一介の人物を通して語られるストーリーは目線が違うので史実の描写にしてもリアリティがあります。
この「会津春秋」は雑誌掲載時は、「会津の月、薩摩の星」というタイトルで発表されました。つまりは会津藩士・秋月新之助を主人公にその友人・薩摩藩の橋口八郎太との友情を軸とした青春小説であったわけです。史実として、会津藩と薩摩藩は最初は同盟関係にありながら時代の中で最後は敵同士として戦います。その二人が主人公ですから、悲惨な関係と思われますが、そこは二人の生涯にわたる友情を描くことでも、その肌合いはあくまで青春小説として描かれています。幕末ですから、歴史群像としての佐久間象山、坂本龍馬、西郷隆盛など歴史上の有名人が随所に絡みます。章立ては次のようになっています。
第一話 青春の二人
第二話 京洛激動
第三話 血涙の鶴ヶ城
第四話 明暗の田原坂
第二話 京洛激動
第三話 血涙の鶴ヶ城
第四話 明暗の田原坂
二人の出会いは佐久間象山の塾です。この塾生には、吉田松陰、勝海舟、坂本龍馬、河井継之助、橋本左内などを輩出していて幕末の日本の舵取りに大きな影響を与えていたことが分ります。秋月新之助は会津藩の後の藩主松平容保の近衆として、そして橋口八郎太は剣術の修行のため江戸に出て来た薩摩藩大阪蔵屋敷の下級武士でした。第一話の「青春の二人」ではそういう二人の親交が描かれていきます。ここでは、まだ風雲急を告げる幕末の切迫した状況にはありません。タイトル通り、青春小説として、塾頭の馬場弥久郎の妹の咲を巡っての恋の鞘当てのような展開です。この小説が連載されていたのは丁度テレビで「仁-JIN-」が放送されていた頃で、どうも橘咲をイメージして清水氏が登場させたきらいがあります。女だてらに詳証術(数学)を理解する才女として描かれます。二人はこの女性に恋をするのですが、告白す。のは秋月新之助です。ただ、友情を交わした2人ですから、橋口も咲のことを好いていると伸之輔は告げ抜け駆けしないところがさわやかです。しかし、安政の大地震がその咲の命を奪ってしまいます。安政2年10月2日(1855年11月11日)午後10 時ごろ、関東地方南部で発生したM7クラスの地震です。そして、この前年には黒船が来航し、時代は確実に幕末へと舵を切っていきます。
第二話では、会津藩が京都守護職になったのこともあり、秋月新之助は京都に駐在します。そして、橋口八郎太もまた、西郷隆盛に従い京都の薩摩藩邸に居住しています。この頃は長州藩が尊王攘夷を標榜し、会津藩と対立します。その対立の頂点は蛤御門の変として歴史に記録されます。そして、この時薩摩藩は会津に肩入れをし薩会同盟を形成しています。長州勢が蛤御門に押し寄せた時、秋月ら会津藩は劣勢だったのですが、薩摩藩が応援に来て形勢は逆転します。先日の京都旅行で、京都御苑の蛤御門を重点的に観光したのは、この小説話読んでいたからでもあります。矢玉の跡が残る蛤御門はその歴史を今に伝えてくれる貴重な歴史の生き証人ですね。小説では長州藩の来島又兵衛を討ち取るのは橋口八郎太ということになっています。

第三話はその蜜月の薩会同盟は過去の遺物となり、今度は薩長同盟として会津藩と対立関係になる様が描かれていきます。歴史は非常にも徳川幕府に恭順の会津藩を朝賊として位置づけてしまいます。鳥羽伏見の戦いで敗れ幕府軍は江戸へ逃れます。そして、更に故郷会津で官軍を待ち受けることになります。この小説では、白虎隊、鶴ヶ城籠城については簡単な記述になっていて、少々物足りなさを覚えますが、秋月新之助の妻は子供を守るのが親の務めとしての態度を鮮明に打ち出しているのが新鮮です。結局長州藩ではなく、薩摩藩が会津藩を降伏に持ち込んだことが幸いして、寛大な処置がとられ秋月新之助たちは延命します。その降伏の場面に橋口八郎太の顔があるのも小説の小説たる処です。

苦難の明治新政府時代の会津藩藩士たちの運命が描かれます。彼らは捕虜として様々な辛苦をなめますが、藩の取潰しを迎え新之助は一大決心をして東京に舞い戻ります。そこでかつての塾頭婆に出会い、さらには出世した橋口に再開します。そして、橋口の紹介で邏卒になることが出来ます。今でいう警察官ですね。悲劇にあっても雄々しく生きる下級武士の生き様を垣間見ることが出来ます。この時代昨日の敵が今日の友という感じで、一時期は橋口の方が出世して陸軍大尉にまでなります。ただ、西郷隆盛が中央政界から鹿児島に引っ込むと、心酔している橋口は彼について鹿児島に引きこもってしまいます。
明治政府は堅牢な体制ではなく、邏卒から警官に変わり、岩倉具視暗殺未遂事件(明治7年(1874年)1月14日)では、秋月らが活躍し3日後に犯人逮捕にこぎ着けます。こうして2等巡査に昇進します。この年、旧会津藩士らは警察官増強の方針のもとに大挙して採用されます。まるで、薩摩との戦争に備えての増強の様相を呈しています。明治10年、秋月は更に六等警部に昇進し、こともあろうか西郷の反乱軍と戦うために九州に赴きます。田原坂の激戦地で、秋月は農民の服装に着替え、西郷軍の橋口に会いにゆきます。まあ、この辺りは小説ですなぁ。最後の再会を果たし、秋月は橋口に「死ぬなよ」と声をかけます。しかし、翌日の激しい戦いで橋口は戦死します。会津と薩摩という数奇な境遇の二人の話は終わります。下級武士として時代を駆け抜けた二人でしたが、最後まで友情を大切にしていました。最後は運命の逆転とでも言うべき結末ですが、これも西南戦争の史実です。悲惨な戦争の連続ですが、清水氏の巧みな筆致で大きな悲劇性を感じずに読み終えることが出来ます。
これを読むとつくづく歴史は連続しているものだと実感します。ただ、司馬遼太郎の作品のような重量感が無いのは残念です。これだけの内容ならもう少し内容の濃い作品に仕上げることも出来ただろうにというのが率直な感想です。
この本の解説は自身歴史作家でもある「星亮一」氏が書いています。さりげなく、新島八重に関する話も盛り込んで、自著のPRの部分もありますが、さすが会津藩のことに関しては一家言ある人です。そこでは、この作品を次のように紹介しています。
「青年の一時期というのは、自分が何をなすべき人間なのかが見えておらず、ただ何かをしなければという焦燥感だけが強くて、目隠しをして闇雲に走っているようなところがある」という出だしは、京都に向かう会津のサムライを連想させるに十分である。この本の主人公秋月新之助は藩主松平容保の近習で、江戸住まいだった。江戸の上屋敷は和田倉門にあった。東京駅の丸の内口からごく近いところである。会津藩は幕府の親藩である。肩で風を切って歩くことができた。 作者の清水義範さんは名古屋生まれ、軽妙な作風で知られる作家で、『猿蟹合戦とは何か』『蕎麦ときしめん』などの作品もある。 以前、私は名古屋の人と会津戦争について話し合ったことがあった。「客観的に見て勝ち目のない会津藩が、どうしてあそこまで戦ったのですか。名古屋人には考えられない」とその人が言った。「不義を許さない会津武士道でしょうか」と言ったが、その方は納得できない表情だった。清水さんは見事にそれに応える作品を書いてくださった。 幕末は薩摩、長州、会津三藩の激しい対決の時代だった。薩摩は名君島津斉彬が西郷隆盛や大久保利通らの若手武士を育て、長州には鬼才高杉晋作がいた。会津はたぐいまれな忠誠心と武勇の集団であった。この三藩が激しく争い、明治という時代に突入する…
「八重の桜」に興味があるなら、その背景となるこの作品に触れるにはいい機会の様な気がします。