お盆も近いということで今朝は早くからお墓参りに生きました。早朝にも関わらず、さすが土曜日ということで平和公園は平日とは違い大混雑です。平和公園周辺は午前7時から周辺が交通規制されるので、マイカーの人はそれ以前に参拝を済ませようという人でごった返すのです。ということで、我が家も何時もは墓地の直ぐ近くに露中をするのですが、さすがに今日は無理でした。そんなことで、ちょっと離れた「安らぎの園」という場所の無料駐車場へ入れることにしました。ここには「虹の塔」という高さ21メートルの塔があります。塔の下に入り見上げると、ステンドグラスが日光を通し壁が虹色に輝くというものです。春分と秋分の日に限っては、足元に虹が天から舞い降りるそうです。
我が家の墓はここから下に下ったところにあります。午前7時頃には檀那寺の住職も来るのですが、まだその時間にはちょいと早かったようですので、我が家だけで墓掃除をしてお参りを済ませました。いつもは、これで終了して直ぐ車で帰って来てしまうのですが、帰り道に歩きながら何気なく標識を見てみると「徳川宗春の墓」とあるではありませんか。まさか我が家の墓のすぐ側にそういうものがあるとは知りませんでした。早速ちょっと寄り道をして墓探しです。
以前本で見た時は墓は金網の咲くで覆われ、墓石も空襲により焼夷弾で一部破壊されていたはずですが、最近の徳川宗春ブーム(何しろ今年開催されたコスプレサミットには名古屋市長がこの徳川宗春の紛争で参加していました)で、修復され自由に参拝出来るようになっているのです。

標識に従って歩いていくと、歩道の直ぐ脇にあり直ぐに分りました。場所は建中寺の墓地内にあり、ひときわ大きいので目立っています。墓石の右上が大きく欠けていましたが、名古屋開府400年パートナーシップ事業としてイベント・お祭りにてキャンペーン活動の結果、「宗春ロマン隊」によって2010年7月に修復作業が無事に終了したのでした。今は写真のように復元されています。


徳川宗春は徳川八代将軍吉宗と同時代の人ですが、御三家の立場でありながら吉宗の質素倹約令を無視して名古屋に繁栄をもたらします。まあ、時代の異端児だったわけですな。江戸時代はちっとも歴史に登場しなかった尾張藩ですが、この宗春の時代だけは名古屋は輝いていたように思います。清水義範氏が枯れのことを小説にしています。この「尾張春風伝」はお勧めです。