駅ちかウォーキング とことこ二川宿-二川宿本陣資料館1 |
12日の中日新聞の文化欄で「二川宿本陣資料館」が紹介されていました。ここは昨年愛知県観光協会が主催した「とことこ東海道2011」の宿場巡りに入っていたのですが、どうにも仕事のスケジュールとあわず断念していたところです。新聞の記事では17日まで、企画展として「江戸時代旅の案内書」を開催しています。梅雨に入ったので雨だったらもういいやという気持ちだったのですが、幸いにも天気は回復しそうなので、急遽予定を変更して昨日の13日のこのこと出かけていきました。ウォーキングといっても、全くの行き当たりばったりの個人企画です。以前、友人につれられて近くまでは行っているのですが資料館は初めてです。
名古屋からですとJRで豊橋往復得々切符というものが発売されていて、1,800円で行くことが出来ます。この名古屋ー豊橋区間はは名鉄と競合していて平日ですと往復1,800円土日は1,500円で行くことが出来ます。いつもは名鉄で行くことが多いのですが、二川は豊橋の次の駅で、名鉄は走っていません。しかも、JRはここまで得々切符を利用することが出来ます。そんなことで、今回は珍しくJRの利用となりました。
あさ9時半前に家を出て、現地に到着は11時20分です。この日のメインは何といっても「二川宿本陣資料館」ですが、ついでに付近を散策です。全くの一人でしたし、どうせならじっくりと資料館を見たいので、午前中は沿道で目についた花々の写真を撮りながらゆっくりとウォーキングです。地図で見た時はJR二川駅から近いのかと思っていましたが、何のことはない1kmほど東に離れています。JRの二川駅は実は大岩町にあり、本陣資料館のある当たりが二川との町境になります。もともと、二川宿は慶長六年(1601)の東海道開設と同時に設けられた宿場ですが、問屋を二川村



だけで負担するには、小さな村なため、隣の大岩村と共同して行うよう、幕府は決めます。メインは二川村で大岩村は加宿という位置付けです。そんなことで、旅籠は二川村よりに設置されています。とりあえず駅から旧東海道沿いに資料館へ向かいます。




町並みは観光資源として整備されていて大抵の家の軒先には二川宿の暖簾が下がっています。また、所々に「大岩町街づくり会」のプランターが置いてありマリーゴールドとサルビアの花が咲いています。また、二川宿のミニ灯籠を飾っているところもあります。お手洗いも入り口には竹筒で作ったプランターで飾られています。宿場の入り口は東西とも鍵型の道で直進では見通せないようになっています。こういうところは曲尺手(かんのて)と呼ばれますが、町の人に聴いたら二川では枡形(ますがた)と呼んでいました。名古屋よりの枡形の角には二川町道路原標とともに高札場跡の石柱が建てられています。



ここを過ぎると間もなく本陣資料館が見えて来ます。そして、その向かいには旅籠跡のプレートがずらりと並びます。その並びの一角には「脇本陣」のプレートもあります。この脇本陣は元々は本陣があったところですが、度々の火事で焼け経営が出来なくなって権利を譲ったものです。



その先に江戸側の枡形があります。こちらの方はきれいに原形が残っています。この枡形の先の左手に「東駒屋」の古い建物があります。江戸末期から明治・大正時代にかけて建造された商家4棟が建ち並んでいます。住居の屋号は、「駒屋」と「東駒屋」で、「東駒屋」では現在も味噌・醤油を販売しています。また、江戸末期に建造された「駒屋」は、豊橋市の有形文化財に指定され、建屋は切妻平入りで格子戸が風情を感じさせます。また建屋奥には味噌蔵があり、時代を髣髴させる建造物です。手前の建物は市が買い上げ、いずれ資料館として再生する予定だそうです。


宿場の東の入り口には橋が架かり、その向こうには二川八幡社があります。二川八幡神社は、 永仁三年(1195)に、鶴岡八幡宮より勧請し、創建された、と伝えられる神社です。毎年八月十日に行われた湯立神事は、幕府から薪が下付され、幕府役人をはじめ、多くの人々が集まり、賑わったといいます。境内の秋葉山常夜燈は、二川新橋の枡形南にあったものをここに移したもので、文化六年(1809)の建立です(写真左に見えます)。本殿の右側の奥には末社があり、若宮神社、稲荷社(朱の鳥居)、三峰神社、護国神社の末社が置かれています。



ここから裏手をぬけて二川一里塚に回ります。東の入り口に当るここには二川宿案内所の「川口屋」があります。この入り口脇にこの一里塚があります。ほんとに石柱だけで道路脇にありますからうっかりすると気がつきません。今回は、ここでお店の人に食事場所を尋ねました。一応ネットでは調べていったのですが、飲食出来るところは街道沿いにはありません。和食と洋食とどちらがいいのかと聴かれたので和食と答えるとうどん屋さんを紹介してくれました。ネットの検索には引っかからなかったところです。すぐ先の「妙泉寺」の横だと教えてくれました。ここで、おばあちゃんと少々話し込み、先の資料館再生の話しや昔の町並みについても教えていただきました。枡形の昔の写真も合ったので上と比べてみて下さい。



その「妙泉寺」は前身は1340年代に建てられた小庵で、現在地には1660年に移転し山号を延龍山という日蓮宗の寺です。境内には自然石に刻まれた松尾芭蕉の句碑が鎮座します。丁度今の時期は句碑に相応しい紫陽花が咲いています。



その入り口の脇に丼モノの看板を掲げた「取付屋本店」という店がありました。まさに地元の飲食店といった風情です。12時半頃店に入りましたが、ご近所の年寄りばかりが店内に5ー6人いた限りです。メニューは無し、壁の一覧から選んでくれという素っ気なさです。こりゃあはずれかな?と思いましたが、出て来た料理を見てびっくり。焼肉定食を頼んだのですがまさに町の定食という凄いボリュームです。今では殆ど我が家の食卓に上らないパセリが載っていますし、何とフルーツのチェリーやみかんまでワンプレートに盛られています。香の物が沢庵とらっきょというのも庶民的です。みそ汁はてんこもりの赤出しで味はグー!焼肉の量も半端ではありません。これで780円ですから大満足でした。すぐ目の前には、ネットで紹介されている「江戸屋長佐エ門」という和食の店があるのですが、地元に来たら地元の味を楽しみましょう。
さあ、腹も膨れたことなので、いざ資料館に出陣です。------続く