
わずか十ヶ月間の活躍、突然の消息不明。写楽を知る同時代の絵師、板元の不可解な沈黙。錯綜する諸説、乱立する矛盾。歴史の点と線をつなぎ浮上する謎の言葉「命須照」、見過ごされてきた「日記」、辿りついた古びた墓石。史実と虚構のモザイクが完成する時、美術史上最大の迷宮事件の「真犯人」が姿を現す。---データベース---
浮世絵好きが高じてその周辺の小説を漁っています。先だっても、写楽に関しては内田千鶴子氏の「写楽を追え―天才絵師はなぜ消えたのか」を取り上げましたが、今度は推理小説の最近の写楽本です。「このミステリーがすごい!2011年版」で2位の評価を得ています。ちょいとタイトルが変わっているなぁと、と思った人はここの小説を読めばびっくり仰天でしょう。今までいろいろ取りざたされた写楽別人説とは根本的に違う作品に仕上がっています。
単行本で680ページ以上の長編ですが、興味のある人なら一気に読むことが出来るでしょう。ただ、個人的な感想では小説としては消化不良で、日本の回転ドアの問題点を取り上げているのは良いのですが、その問題は前半の少々だけ取り上げられていて、宮部みゆき氏の長編のようにメインストーリーに殆ど絡んでくることなく切り捨てられています。どうせ、こういうテーマを持ち込んだならば最後までその問題についても小説としての結論を示すべきで、きっちり上下巻出す心構えで作品を書くべきでしょう。そういう意味では消化不良の作品で、とても、「このミステリーがすごい」にランクされる作品ではありません。ただ、作品のテーマを誰が写楽であったかを明らかにするための作品と割り切って考えるなら、高橋克彦氏の「写楽殺人事件」を超える傑作と位置づけてもいい様な気がします。
主人公は息子を回転ドアの事故で亡くした佐藤と帝都大教授の片桐、そして出版社の常世田という男です。一人称形式で書かれていて名字以外は明らかにされていません。佐藤は一応は北斎の研究家として論文を上梓しています。そして、今は写楽研究に取りかかる入り口にいました。冒頭の設定は、写楽殺人事件と同じ様な未発見の肉筆画が登場します。何だ、おんなじパターンか、と思わせますが、ところがこの肉筆画はあまり重要視されません。ただ、この絵に書かれている不思議なオランダ語の文字がストーリーの展開のポイントとなります。
「Fortuin in,Duivel buitenn」(オランダ語)
「フォーチュン・イン、デヴィルズ・アウト」(英語訳)
「福は内、鬼は外」(和訳)
オランダ人とのハーフである片桐教授が訳してくれたこの言葉に佐藤は、ある人物話思い浮かべます。そう、18世紀後半の大江戸で「福内鬼外(ふくうち・きがい)」と名乗った浄瑠璃作者を追うことからストーリーがにわかに動き始めます。しかし、このペンネームを持つ平賀源内は写楽の登場を待たず、殺人事件を起こして獄死しています。この辺りのところは、清水義範氏の「源内万華鏡」で読んで知っていましたから驚きは無かったのですが、その彼が世の老中「田沼意次」と関係が深かったということは知りませんでした。
「Fortuin in,Duivel buitenn」(オランダ語)
「フォーチュン・イン、デヴィルズ・アウト」(英語訳)
「福は内、鬼は外」(和訳)
オランダ人とのハーフである片桐教授が訳してくれたこの言葉に佐藤は、ある人物話思い浮かべます。そう、18世紀後半の大江戸で「福内鬼外(ふくうち・きがい)」と名乗った浄瑠璃作者を追うことからストーリーがにわかに動き始めます。しかし、このペンネームを持つ平賀源内は写楽の登場を待たず、殺人事件を起こして獄死しています。この辺りのところは、清水義範氏の「源内万華鏡」で読んで知っていましたから驚きは無かったのですが、その彼が世の老中「田沼意次」と関係が深かったということは知りませんでした。
最初は源内が獄死せずに、田沼の配慮で彼の領地であった静岡は相良に逃れたという説を追って現地に飛びます。ここまでは完全に写楽=平賀源内で突き進んでいきます。それがひょんなことからオランダ人の商館長だったヘンミーが掛川で客死していたことを突き止めます。出島のオランダ商館はこの時代4年毎に江戸参府を行なっています。客死は寛政10年のことでした。さあ、こういう事実が浮かび上がってくると、写楽=平賀源内説から更に一歩進んだ発想が佐藤の頭に浮かんできます。
ストーリーは章毎に江戸時代と現代が描かれていきます。この辺りの話しの進め方は内田氏の「写楽を追え」と同じ構造です。ただ、登場人物がちょっと違います。蔦屋重三郎の周りには春朗こと葛飾北斎や歌麿も登場して来ます。歌麿は蔦屋以外の仕事もこなしていましたが、決して蔦屋と袂を分っていたわけではありません。この小説の中では、北斎がオランダ商館の一考に絵を描いていたことが明らかにされています。シーボルト事件で日本地図を持ち出したことだけが発覚していたのではなく、北斎の描いた江戸町民の風俗絵巻をこのヘンミーに渡していたのです。この北斎、シーボルトにも日本の武具を書き記した肉筆画を渡しています。こういう流れから佐藤は、蔦屋重三郎も春朗の繋がりからオランダ人との接触が合ったのではないかと考えます。
写楽が残した作品は1期から4期までに分れています。その中で1期の作品だけが大首絵として、特に有名な作品となっています。素人目に見ても、この1期の作品は田の2~4期の作品とは明らかに作風が違います。まず、その背景に黒雲母摺りが使われています。雲母が使われるのは一流の絵師の作品にしかないことです。ぽっと出の新人の冩樂がいきなりこの黒雲母摺りでデビューしたというのは常識ではありえないことです。そして、この第1期の作品は通常の絵師ならトップスターしか描かないところを写楽は端役の役者まで描いているのです。とても、歌舞伎を知っている常識人には考えられないことです。こういうことは常々小生も思っていたところですが、この小説ではそういうところにも踏み込んでの新しい写楽像に迫っています。一つ一つが納得のいく詰み上げです。歌舞伎の大見得は、一瞬の静の動作ですが西洋絵画には無い動きを伴ったシャッターチヤンスを切り取ったもので、単なる肖像画ではありません。他の絵師の役者絵は単なるスターのブロマイド的な構図や仕草ですが、写楽の構図はどれも動きのある視点で描かれています。ここに写楽の大首絵の特徴があるのですが、また一般の浮世絵と違い写楽画は、少ない版下で制作されています。多くても4色刷りです。歌舞伎というホットな題材だけに制作から出版まで時間がかけられなかったという制約があったこともあるのでしょうが、それにしても、細部を見ると背景が黒ということもあってか、色抜けは至る所にあり毛の生え際なんかの仕上げは雑です。

この小説ではこの第1期の作品だけを取り上げて、写楽とは誰だったかを追跡していきます。まあ、小説ですからそれでも良いのでしょうが、2期以降の考察はここでは登場しません。それゆえ、これがこの小説の物足りないところともいえる部分です。ただ、この第1期の写楽に迫る考察は度肝を抜かれます。それはこの作品のタイトルにもちらっと出て来ますし、本の表紙のデザインにも端的に現れています。そこには、地球儀が描かれていますし、「写楽」の文字の下のデザインは「オランダ東インド会社」の紋章です。そう、作者の思考は狭い日本を飛び出して世界に向けられているのです。人物設定の中で、片桐教授がオランダ人とのハーフという設定も生きています。大胆な発想は写楽がオランダ人であったことを示しています。そして、その論拠は出島のオランダ商館の江戸参府の日程と奇妙に一致しています。通常の江戸参府は年の改まった2月頃が通例なのですが、写楽が活躍した寛政6年は歌舞伎の5月興行が行なわれた4月末から江戸に入っています。そして、通常は日のある日中のみの興行ですが、この年は控え三座が興行を打つとあって祭気分で夜も上演された可能性があります。そこへ蔦屋重三郎はオランダ人の若者を一人連れ出し、春朗と一緒に歌舞伎の舞台を見ます。
これで、歌舞伎の素人が真近で見る役者をスケッチすることが出来ます。その絵は日本人離れしたディフォルメされた役者を描き出します。そして、主役ではない人物も次々と描いていきます。なまじ歌舞伎を知らないので興味の対象だけが絵となっていきます。鼻は鷲鼻、男が演ずる女形はそのまま皺をも写し取ります。ただ、オランダ人の描いた絵は石墨画です。これをそのまま彫ることは出来ません。そこで、歌麿の登場です。第1期の絵の特徴で手などを描いた線は歌麿と酷似していると指摘されるのは、さもありなんです。オランダ人の描いた下絵をしきうつしするのが歌麿なのです。完成されたしきうつし絵はグロテスクさは程良く調和され、歌麿のタッチを残しながらも異形の役者絵となります。そして、このことに立合った歌麿、春朗(北斎)、蔦屋重三郎は口が裂けても写楽がオランダ人とはいえません。いえば、異国人を勝手に江戸市中を連れ回したかどで、重罪になることは必至です。江戸出立(この年は5月7日)までの3日間で三座の歌舞伎絵は揃います。
蔦屋重三郎が亡くなるのは寛政9年です。オランダ商館一行の継の参府は寛政10年ですから、重三郎がオランダ人に歌舞伎絵を頼めたのはこの寛政6年しかありません。そして、歌麿は重三郎が亡くなった後で、この写楽絵をしきうつししたことの経緯について、のちに自作の絵の中でこのことを批判しています。そういう事実を積み重ねながらの論法で写楽はオランダ人であったと佐藤は推論していきます。後半のこの謎の紐解きは現代と江戸時代とをシンクロさせながら進んでいきますから、興味のある人に撮ってはわくわくもんの展開です。
寛政10年、先に書いたように帰路掛川でオランダ商館長は客死します。それが意味するところは不明のままですが、一連の出来事と何らかの関係があるのかもしれません。ただし、この写楽絵を書いたオランダ人はその後、オランダには帰国していません。彼はオランダ人とバタヴィア人の混血だったのです。彼の記録についてはオランダでも残されていません。今のインドネシアに痕跡が残っていれば、何れこれらのことが明らかになる様な気がしますが、間には第2次世界大戦が横たわっています。歴史に埋もれている可能性があります。
この小説、東州斉写楽の第1期は解明されています。写楽画は第1期と第2期だけ「東州斉写楽画」の落款がありますが、第3期以降は単に「写楽画」だけに変わっています。これも、別人説の論拠になっていますが、この本では2期以降は誰が描いたのかということには全く言及されていません。そして、推理小説ではありながら冒頭に登場する肉筆画についても謎のままです。何れ続編が書かれるのかもしれませんが、今のままでは未完といわれてもしょうがないのかもしれません。しかし、興味深い作品ではあります。
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