
深川の茂平は大工の棟梁を引いて隠居の身。生来の仕事好きには、ひまでひまで仕方ない。そんな茂平、いつの頃からか「ほら吹き茂平」と呼ばれるようになっていた。別に人を騙そうとは思っていない。世間話のついでに、ちょっとお愛想のつもりで言った話がしばしば近所の女房たちを、ときには世話好き女房のお春までをも驚かす。その日は、一向に嫁がない娘を連れて相談にきた母親に、いつもの悪戯ごころが頭をもたげてきて...。(「ほら吹き茂平」より)。やっかいな癖、おかしな癖、はた迷惑な癖...いろんな癖をもった人がいるけれどうれしいときには一緒に笑い、悲しいときには一緒に涙する。江戸の人情を鮮やかに描いた時代傑作。---データベース---
宇江佐さんお得意の、江戸の人情話6編がおさめられています。何時もはタイトルに凝る宇江佐真理さんですが、この作品は失敗でしよう。タイトル作は冒頭の一編ですが、あんまり切れ味のいいほらではありません。それよりも、「千寿庵」ものの作品が2編収録されており、一風変わった設定ですが、この方がファンタジックな雰囲気でインパクトがあります。尼僧の浮風さんの設定、キャラクターなら連作短編集が編めそうです。こちらのシリーズ化を望みたいものです。茂平さんはこの一編で充分でしょう。作品は「小説NON」2009年1月号から2010年4月号に発表されています。ちょっとタイトルには相応しく無いのはサブタイトルも同じです。宇江佐真理さんの作品でいえば、「神田堀八つ下がり」や「深川恋物語」、「おちゃっぴい」のような市井の人々のほのぼのしたものからちょっと現実離れした話しやホラーじみたものまでいろいろ入っています。
♦ほら吹き茂平
タイトル作で、データベースで粗筋は紹介されています。まあ隠居老人の与太話的なものです。その中でも、説得力があるのは商家の箱入り娘を一喝してしまう与太話でしょう。沢庵の食べ方一つで親の育て方が分かるなんざ、極上のほらです。この一編は落語的な面白さがあります。
タイトル作で、データベースで粗筋は紹介されています。まあ隠居老人の与太話的なものです。その中でも、説得力があるのは商家の箱入り娘を一喝してしまう与太話でしょう。沢庵の食べ方一つで親の育て方が分かるなんざ、極上のほらです。この一編は落語的な面白さがあります。
♦千寿庵つれづれ
二人目の亭主が死に、余生を送るために小梅村に庵を建て、にわか尼僧になった庵主の真銅浮風は不思議な能力があります。そんな彼女のもとには今日も彼女を頼って人が訪ねて来ます。ことしも、桜の花びらがそろそろ散りかける頃で、浮風はその人が来るのを心待ちにしています。しかし、最初に訪れたのは浅草の?椈燭問屋の娘の「お磯」でした。この娘も訳ありの風で、昨年の事件がまだ尾を引いているようです。お磯が祝言を挙げる約束をしていた呉服屋の長男の房次郎と花見に出かけたとき、その席に房次郎のこをはらんだ娘が匕首を持って乱入して来たのです。
二人目の亭主が死に、余生を送るために小梅村に庵を建て、にわか尼僧になった庵主の真銅浮風は不思議な能力があります。そんな彼女のもとには今日も彼女を頼って人が訪ねて来ます。ことしも、桜の花びらがそろそろ散りかける頃で、浮風はその人が来るのを心待ちにしています。しかし、最初に訪れたのは浅草の?椈燭問屋の娘の「お磯」でした。この娘も訳ありの風で、昨年の事件がまだ尾を引いているようです。お磯が祝言を挙げる約束をしていた呉服屋の長男の房次郎と花見に出かけたとき、その席に房次郎のこをはらんだ娘が匕首を持って乱入して来たのです。
お磯の相手をしているところに、待ち人の飾り物屋のお内儀の「お峰」が現れます。娘の「お里」と一緒に花見を楽しみにきたのです。桜の木の下でふたりだけの花見を楽しみます。もうそれは10年来の楽しみ事です。お磯もそのふたりを本堂の窓からのぞいています。楽しいひとときですが、最後にはお峰は涙ぐみます。そう、お里は遡る事10年前、かどわかしに遭い殺されてしまったのです。そうです。お磯もお里も幽霊だったのです。
♦金棒引き
「金棒引き」とは世間の噂好きの意味です。主人公は日本橋は品川町の菓子屋「吉野屋」のお内儀「おこう」です。おこうは好奇心が強く、半鐘が鳴れば寝間着に半纏を羽織っただけで何処へでも飛んでいく性格でした。皇女和宮が将軍徳川家茂の許へ輿入れしたのは文久2年(1862年)2月11日ですから、このストーリーはその時代の出来事です。おこうの噂話にかこつけて皇女和宮の人となりを描いています。こういうゴシップものは瓦版が好んで取り上げる話題ですが、ここは作者は大奥に女中奉公していた華江という女性とその姪を通して情報を語らせます。幕末の不安定な世情の中で家茂と和宮の仲睦ましい様子が描かれ、家茂が上洛のおりには和宮は芝の増上寺の札を取り寄せお百度参りをした事が語られていきます。1860年にはヒュースケン事件、1862年には横浜の生麦事件と異人絡みの殺傷事件が頻発します。この事件では幕府の信頼は失墜します。そして、瓦解への道を突き進んでいきます。さて、家茂の上洛は3度に及んでいます。2度目のときは代参を立てず、和宮は自ら増上寺へ参詣しています。しかし、1966年5月、3度目の上洛の際は家茂大阪城で病死します。和宮は同年10月落飾して静寛院宮と称します。つまりは出家ですな。そして、明治10年秋、箱根の湯治先で亡くなります。32年の生涯でした。
「金棒引き」とは世間の噂好きの意味です。主人公は日本橋は品川町の菓子屋「吉野屋」のお内儀「おこう」です。おこうは好奇心が強く、半鐘が鳴れば寝間着に半纏を羽織っただけで何処へでも飛んでいく性格でした。皇女和宮が将軍徳川家茂の許へ輿入れしたのは文久2年(1862年)2月11日ですから、このストーリーはその時代の出来事です。おこうの噂話にかこつけて皇女和宮の人となりを描いています。こういうゴシップものは瓦版が好んで取り上げる話題ですが、ここは作者は大奥に女中奉公していた華江という女性とその姪を通して情報を語らせます。幕末の不安定な世情の中で家茂と和宮の仲睦ましい様子が描かれ、家茂が上洛のおりには和宮は芝の増上寺の札を取り寄せお百度参りをした事が語られていきます。1860年にはヒュースケン事件、1862年には横浜の生麦事件と異人絡みの殺傷事件が頻発します。この事件では幕府の信頼は失墜します。そして、瓦解への道を突き進んでいきます。さて、家茂の上洛は3度に及んでいます。2度目のときは代参を立てず、和宮は自ら増上寺へ参詣しています。しかし、1966年5月、3度目の上洛の際は家茂大阪城で病死します。和宮は同年10月落飾して静寛院宮と称します。つまりは出家ですな。そして、明治10年秋、箱根の湯治先で亡くなります。32年の生涯でした。
前半は、確かにお内儀「おこう」の口から語られますが、後半は第3者的に綴られていきます。タイトルは何も関係なくなっています。
♦せっかち丹治
丹治の娘のおきよに米問屋から嫁にほしいと話しがあります。しかし、この話には裏があります。米問屋の息子はよいよいの両親の世話をおきよにさせたいのです。そんなこともあっておきよはこの縁談を断ります。差配の儀助の面目は丸つぶれです。しかし、大工の丹治は六兵衛店の借家住まいですが動じません。丹治は、自分の親は長男でなくても引き取り面倒を見た気骨があります。その丹治には手元(大工見習い)の銀太郎がいます。23歳の若者でおきよに気があります。おきよに振られた米問屋の息子は別の娘と所帯を持ちますが、案の定親の世話を押し付けられ10日あまりで逃げ出します。女中代わりの結婚話は先が見えているという事です。その話しを銀太郎が仕入れて来ます。それみたことかとおきよは思います。
丹治の娘のおきよに米問屋から嫁にほしいと話しがあります。しかし、この話には裏があります。米問屋の息子はよいよいの両親の世話をおきよにさせたいのです。そんなこともあっておきよはこの縁談を断ります。差配の儀助の面目は丸つぶれです。しかし、大工の丹治は六兵衛店の借家住まいですが動じません。丹治は、自分の親は長男でなくても引き取り面倒を見た気骨があります。その丹治には手元(大工見習い)の銀太郎がいます。23歳の若者でおきよに気があります。おきよに振られた米問屋の息子は別の娘と所帯を持ちますが、案の定親の世話を押し付けられ10日あまりで逃げ出します。女中代わりの結婚話は先が見えているという事です。その話しを銀太郎が仕入れて来ます。それみたことかとおきよは思います。
元の木阿弥になった儀助はふたたびおきよに話しを持って来ますが、そんな差配に丹治は平手打ちを喰らわせます。怒った儀助は長屋から出て行けといいます。しかし、捨てる神あれば拾う神ありで、丹治の親方が新しい裏店を建てる仕事を請け負います。そこは樽代(権利金)もいらないところでした。丹治は六兵衛店の店子にもその話しを勧めます。そして、対に全員が新しい弁天長屋ん移る事になります。儀助は大家に会わせる顔がありません。そして、銀太郎ははれておきよと所帯を持つ事が出来るようになります。
♦妻恋村から
千寿庵の続編となる一話です。もうここでは、幽霊ものである事が分かっているのですが、今度は上州吾妻群鎌原村からやって来た男の話しです。30年ほど前に亡くした妻と娘の供養をしてほしいという事です。ただ、千寿庵は浮風の一存で墓を作る事は出来ません。浮風は死者を弔う資格を持っていないからです。長次というその男は浅間山の山焼け(噴火)とそれに伴う浅間押し(火砕流)で家族を失ったのです。それは記録に残る天明3年(1783)、旧暦7月8日の事でした。鎌原村は浅間山麓の街道沿いにある村で戸数93戸、人口600人ほどでした。この火砕流で村は全滅になり、生き残ったのは男40人、女53人だけでした。死者は477人を数えています。直ちにお救い小屋が設けられ、幕府からは勘定方が派遣されて来ました。その長は後の南町奉行の根岸肥前守鎮衛です。彼の指示のもと5ヶ月ほどで村は29町ほどの耕地が復旧しています。
千寿庵の続編となる一話です。もうここでは、幽霊ものである事が分かっているのですが、今度は上州吾妻群鎌原村からやって来た男の話しです。30年ほど前に亡くした妻と娘の供養をしてほしいという事です。ただ、千寿庵は浮風の一存で墓を作る事は出来ません。浮風は死者を弔う資格を持っていないからです。長次というその男は浅間山の山焼け(噴火)とそれに伴う浅間押し(火砕流)で家族を失ったのです。それは記録に残る天明3年(1783)、旧暦7月8日の事でした。鎌原村は浅間山麓の街道沿いにある村で戸数93戸、人口600人ほどでした。この火砕流で村は全滅になり、生き残ったのは男40人、女53人だけでした。死者は477人を数えています。直ちにお救い小屋が設けられ、幕府からは勘定方が派遣されて来ました。その長は後の南町奉行の根岸肥前守鎮衛です。彼の指示のもと5ヶ月ほどで村は29町ほどの耕地が復旧しています。
さて、このとき残った男と女で新しく所帯を持つ政策も薦められます。長次は三男であたらしいおすがの家に養子に入ります。そんなことで、先の妻と娘の骨は骨壺に入れたままになってしまいます。その経緯を聞いて浮風は近所の正覚寺の住職に供養を頼む事にします。長次を一晩泊めますが、眠った枕元に先の家族が現れます。前妻のお春と娘のおゆみ、そして後妻のおすがの三人の霊でした。浮風は三人の話を聞き、良しなに計らいます。長治はその会話を夢の中で聞き安心して故郷に戻っていきます。
さて、この話、何処かで読んだ様な?と思ったら、先の「通りゃんせ」にこの鎌原村の話しが出でいました。
♦律儀な男
大伝馬町の醤油・酢問屋「冨田屋」の主市兵衛は4代目でが養子で入った48の男です。しかし、前妻とその母親は殺されていました。いまは女中として働いていたおふきと一緒になり子供にも恵まれています。店を閉めると市兵衛は一膳飯屋の「ひさご」に顔を出します。雨になったその夜は客も少なく、常連の魚問屋の和田屋半次郎、そして薬種問屋の難波屋勘兵衛が集います。そして、店の主の勇次郎を交えての酒盛りになります。そこで市兵衛の昔話になります。
大伝馬町の醤油・酢問屋「冨田屋」の主市兵衛は4代目でが養子で入った48の男です。しかし、前妻とその母親は殺されていました。いまは女中として働いていたおふきと一緒になり子供にも恵まれています。店を閉めると市兵衛は一膳飯屋の「ひさご」に顔を出します。雨になったその夜は客も少なく、常連の魚問屋の和田屋半次郎、そして薬種問屋の難波屋勘兵衛が集います。そして、店の主の勇次郎を交えての酒盛りになります。そこで市兵衛の昔話になります。
市兵衛は娘婿にはなりましたが、嫁には愛人がいました。そんなことで、夫婦の契りも結んでいなかったのです。舅とつるんでの秘め事に市兵衛は旅に出る事が多い生活でした。その旅の途中で、路銀を使い果たした夫婦を助けます。おとこはそれを恩にきます。そのときは夫婦連れに自分の境遇のやるせなさを、話してしまいます。妻は病気持ちで一年足らずで死んでしまいますが、市兵衛の語った話しが忘れられず、田畑を処分すると江戸に出て来て三日と空けず芝居にうつつをのかす富田屋の母娘とその間夫の三人を殺してしまうのです。もちろん男はすぐに捕まり、処刑されてしまいます。男は最後には市兵衛のためではなく、自分が母娘の暮らしぶりを見て憎くてたまらなかったと語ります。それは、市兵衛に取っては慰みにはなりましたが心は晴れるものではありませんでした。
うーん、これって殺人幇助になるのでしょうかね。なんだか読む方も割り切れませんが、男は本当に「律儀な男」だったのでしょうか?