心に吹く風-髪結い伊三次捕り物余話10 | geezenstacの森

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心に吹く風-髪結い伊三次捕り物余話10

著者 宇江佐真理
発行 文芸春秋

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 不破龍之進が結婚し、伊三次とお文がひと安心したのも束の間、絵師の下で修行していた息子が兄弟子と喧嘩し、帰ってきてしまった。伊三次とお文夫婦にまたまた難題発生。一人息子の伊与太が修業先をとびだし家に戻ってきた。心配する二人をよそに、奉行所で人相書きを始めるが…。---データベース---

 この作品も雑誌の連載を読んでいますから単行本では再読という事になります。作品は「オール読み物」に平成22年5月号から平成23年3月号までに掲載された6編が収録されています。こちらは先の「古手屋喜十為事覚え」とは違い、連作短編ではなく、一話一話は独立しながらも話しは続いています。何しろこの著作で10作目となりますから大長編小説となっています。シリーズ第1作が発表されたのが1995年ですから、足掛け17年の歳月が経っています。まあ、ライフワークと言っていい作品でしょう。個人的にも宇江佐真理さんの作品の中では一番好きなものです。この本の表紙は伊三次の一人息子の「伊与太」と不破友之進の娘「茜」が描かれていて、世代は子供たちの活躍に移っています。そんな一作の冒頭を飾るのは不破の息子龍之進とその妻のきいです。

♦気をつけてお帰り
 前作となる「今日を刻む時計」が単行本化されたのが2010年7月ということで、ちょうど1年のブランクがあります。前巻のラストは龍之進が「きい」こと「徳江」を長屋まで出かけてその足で妻になるようにと貰い受けてくるところでおしまいでした。そんなことで、冒頭はきいがどういう経緯で不破家に嫁いだかのおさらいから始まります。ま、この部分は立ち読みが出来ますから下記でご鑑賞下さい。


 本編は、その祝言を間近に控えた8月の末から始まります。その前に龍之進には大捕り物が控えていました。窃盗と殺しを働いた重助という手代が品川に潜伏しているらしいのです。当時の品川は東海道の最初の宿場町ですが、町奉行所の管轄の朱引きの内です。そんなことで祝言の前日に船で出かける事になりました。捕縛が遅れれば祝言に間に合いません。明日は式だというのに一日経っても龍之進は戻りませんでした。きいは気が気ではありません。こんな状況ではおちおち寝ていられません。一人龍之進の帰りを待つきいでしたがつい打とうと寝てしまいます。それでも、ようやく明け方になり龍之進は帰って来ます。祝言には何とか間に合いました。しかし、ふたりは式の途中で船を漕いでしまいます。

♦雁が渡る
 きいは玉圓寺の前の花屋で仏壇の花を買った帰り、七軒町の木戸番の見世で焼き芋を買います。で、亀島町の川岸にある純子稲荷の前で同じ年頃の腹を空かした娘に出会います。娘は品川から八丁堀まで飲まず喰わず出来たといいます。きいは娘に焼き芋を一つ分けてやります。娘は湯銭まで求めますが、きいはもう持ち合わせはありません。娘は夜鷹をしているようです。この辺りの地図はこちらに掲載しています。

 伊三次の家の女中の「おふさ」と不破家の中間の「松助」は所帯を持つ事になっています。丁度本八丁堀の岡っ引きが恒例で引退するというので松助をその後釜に据える算段をします。すると不破家は中間がいなくなる事になります。そこへ伊三次の息子の伊与太が師匠のもとから逃げ出して来ます。伊与太は歌川派の絵師に弟子入りしていました。その兄弟子と喧嘩をして出て来てしまったのです。そんな時に事件が発生します。夜鷹のひもが殺されたのです。それも、小娘に殺されたと言います。また、品川で飯盛り女が旅籠の主人を殺した事件も発生していて姿を眩ましています。

 その話しをきいは耳にします。どうも焼き芋をあげた娘のようです。龍之進は伊与太に人相書きを作ってくれるように伊三次に頼みます。きいのうろ覚えの記憶の中から伊三次は見事な人相書きを拵えます。そして、面が割れた女は「おしょう」という16歳の娘でした。ここからがこのストーリーのクライマックスですが、きいが大活躍します。町家育ちのきいだからこその活躍と言えるでしょう。それは読んでのお楽しみです。

♦あだ心
 伊与太は人相書きの腕を買われて、不破家の中間だった松助の替わりにそのまま龍之進の中間を務める事になります。 この話の中で松助とおふさは祝言を挙げます。祝言の夜伊与太は不破家で龍之進、きい、そして茜と一緒に食事をします。ここで、改めてきいの若いのに肝の座った態度に感心します。伊与太は奇異に比べるとまだまだ甘いという事を実感させられます。このまま絵師を続けるのか悩みも手習い所の師匠だった笠戸松之丞を訪ねます。そして、師匠から「まめ心」と「あだ心」の話を聞きます。世の中に実直に生きる事が「まめ心」、音曲やうなごにうつつを抜かすのが「あだ心」と解きます。伊与太は人相書きはあだ心と悟り、その世界に触れるのも修行の一つと考えます。迷いが無くなり、伊与太の人相書きで面が割れ、事件はいろいろ解決していきます。

♦かそけき月明かり
 師走の夜風が身にしみる様な仕事の帰り道、お文は自分の後をついてくる子供を見つけます。寒いのに素足で草蛙履きです。子供に尋ねると名は「さと」、年は6歳と応えます。何処から来たのかと訪ねると銚子と応えます。船で銚子から来たようです。船頭の船に乗せられ、ゲイシャをやっている母親を捜しに出て来たようで、お文を母親だと思ったのです。夜も遅いのでお文はさとを連れて帰ります。そんなことで、伊三次はさとの母親を捜す羽目になります。魚河岸で、船頭から話を聞くとさとはててなし子で、寺に預けられているという事です。何でも父親は流れの絵師であった風です。しかし、実のところさとの母親は行方知らずのようです。

 一方伊与太と龍之進は昨今関東一円から江戸に流れた来た盗賊を捜すべく探索を続けています。そんなおり、下野国の陣屋から岩田市次郎という手代が人相書きを持って郡代屋敷に詰めています。しかし、他の人物は精緻に描き込まれているのに一人だけ人相書きがありません。伊与太はそんなところに得心がいきません。別ルートから探りを入れるとどうも絵心のある市次郎が師匠を庇っていた事が分かります。話しの経緯からめんの割れていなかった闇夜の政吉はどうもさとの父親のように思えて来ます。

 さて、さとは次第におふさに懐いていきます。年を取ってから所帯を持っては子に恵まれません。松助とおふさは我が子のようにかわいがります。銚子の寺から坊主が迎えに来ますが、帰れば口入れ屋に売られるのが関の山です。さとはとっさに逃げ出し、松助の家の台所から出刃を持ち出して死ぬと自らの首に突きつけます。それを止めに入ったおふさと松助が、今日から俺がお前のちゃんだと告げます。

♦凍て蝶
 松助の養子として落ち着いたさとは名も「佐登里」となり、笠戸の手習い所に通う事になります。伊三次の娘のお吉と佐登里はその手習い所の帰りに揚羽蝶を見つけます。タイトルの「 凍て蝶」は組屋敷の塀の穴の中にいました。大抵は秋の頃に死んでしまうのですが、稀に冬まで生き残り、生きていてもほとんど動かないことがあるそうです。しかし、この話に登場する蝶は死んでいました。佐登里はその蝶を通りがかったきいに見せます。そして、もちろん伊三次にも。

 きいのお世話になったおしげばあさんが亡くなります。お悔やみに出かけるきいのお供をして伊与太は大伝馬町へ向かいます。みちすがらきいはおしげさんの人生を語ります。そして、話しは凍て蝶におよびます。きいはおしげばあさんの事を、伊与太は闇夜の政吉の事を思います。歌川派を破門され盗賊に身を落としたとはいえ、最後まで絵を捨てられなかったのはあっぱれな様な、哀れな様な気がしてなりません。政吉は市中引き回しの上、獄門の沙汰が下ります。佐登里蝶の絵に夢中になり、松助の塒の壁は蝶だらけになります。

♦心に吹く風
 この本のタイトルにもなっているラストの作品です。茜は年が開けて17になりました。梅の木に一輪だけ咲いています。母親のいなみがしきりと縁談を勧めます。開いては茜が通う道場の門弟ですが、土佐藩の江戸詰めの家臣です。しかし、日頃から悪態をつかれているので茜はその気になりません。いなみはもう一つの話しを切り出します。それは、大名屋敷への女中奉公です。江戸藩邸の奥方や息女の警護をする別式女としてです。大名屋敷も奥方となるとその身辺も男子禁制です。早い話しが武術に優れた女子が警護に当たるという訳です。今でいうボディガードですね。ご奉公に上がれば、1年や2年では収まりません。戻ってくればもう行かず後家は覚悟しなければいけません。いつまでも、小姑として不破家に居られぬ茜は輿入れする以外に剣術の稽古をした娘の行き先はないと決断します。

 茜が仕える先は、下谷新寺町にある蝦夷松前藩の上屋敷です。茜の身の振り方に会わせるかのように伊与太も中間を辞め、師匠のところに戻るといいます。その伊与太は、不破の屋敷に戻ると、庭に回り梅の花を描くといいます。茜はその後ろに佇み伊与太の筆さばきを眺めます。茜は伊与太の決心が自分の性だと思っています。たしかに、伊与太に踏ん切りをつかせたのは茜の奉公にあることは間違いありません。そんな茜に、伊与太は幼なじみの茜を、たとえ女房を貰ってもずっと気にかけていると話します。茜の心が動揺します。伊与太が茜の手を取ると、茜は涙ながらに知らない娘を女房にするのはいやと涙を流します。伊与太はその時、一流の絵師になれたら茜を女房にしたいと告げます。

 茜はお吉に友禅の生地で拵えた宝箱を譲っていました。その中にはむすめらしい、櫛や扇子、お守り、珊瑚の根付けなどが入っています。お吉には別の宝物が出来たからもう入らないと譲ってくれたのです。茜はそれらの替わりに伊与太の描いた不破家の庭の梅の花を描いた掛け軸と自分を書いてくれたもう一つの掛け軸を新しい宝物にしたのでした。

 ここで、この巻は終わります。今は休載されていますのでこの続きは暫くしないと読めません。ここまで読むと、伊与太がんばれ!とエールを送りたくなります。この続きはいきなり5年後から始まりそうな予感がします。