存在証明 | geezenstacの森

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存在証明

著者 内田康夫
発行 角川書店

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 はにかんだ表情にありあまる好奇心を隠し、悪にはめっぽう強いが女性にはからっきし弱い。そんな軽井沢のセンセが本音で語る、浅見光彦のこと、推理小説のこと、世の中のこと。初めてのエッセイ集。---データベース---

 内田康夫氏の作品は、「華の下にて」一冊しか読んでいません。それで次に呼んだのがこのエッセイ集という暴挙です。小説だと思って手にしたら何とエッセイ集ではありませんか。無知も甚だしいものです。氏の作品はベストセラーが多く、テレビドラマ化されているものも多いので全く無知というわけではありません。作品の中核をなす「浅見光彦」シリーズなんて、辰巳琢郎が主人公を演じた時からのファンですから。刑事物では無い一介のルポライターが事件を解決していくという設定は、津村秀介氏の「浦上伸介」ものと並んで好きなミステリーでしたから。ただ、世に言う「アサミスト」ではありません。ですから、この本の最初に登場する「浅見光彦倶楽部」なるものについてのエッセイは全く興味がありませんでした。そもそも、こういうものが存在することを知らなかったのですから。・・・

 ま、こういうファン倶楽部的な組織を持っているということはやはり、売れっ子作家だということなんでしょうね。ちなみにホームページを覗いたら、そこそこ更新されているので活発に活動していることが伺われます。西村京太郎氏のホームページなんか、2004年に開設されてからほったらかしになっていますからね。た分、内田康夫氏の方がファン層が若いということなんでしょう。さて、この本は以下のような章立てになっています。

[目次]
浅見光彦の謎(浅見光彦が遠くなる
謎の訪問者 ほか)
創作の謎(カーテンの向こう側
わたしのデビュー作『死者の木霊』 ほか)
軽井沢のセンセの謎(自然との接点-軽井沢
軽井沢-自然の中の都会生活 ほか)
投書魔の謎(投書について考える
「非国民」とはまた強圧的 ほか)
世の中の謎(本気で本音の政治を期待する
今こそ国民は国に対して何を為すべきか ほか)

 氏は作家でありながら、新聞に投書する投書魔であることをこの本で初めて知りました。地方に住んでいると朝日新聞には縁がないので知りませんでした。極めて真っ当な論客とお見受けします。浅見家が国家権力に組していることを考えると、そうでないスタンスに立っていることとのギャップに驚きますが、作家としては中道ということなのでしょう。初のエッセイ集ということで盛りだくさんの内容ですが、ここでは食に関するもの以外のものが纏められています。その中で、興味を引くのはやはり、内田康夫氏のデビューのきっかけでしょう。処女作を自費出版するというのはよくあるパターンですが、それが江戸川乱歩賞に応募して落選した作品というのだから不思議なものです。自費出版しても、無名の作家の作品なんてそうそう売れるものではありません。それが、新聞の書評で取り上げられたことで一躍期薬効を浴び、それがきっかけで作家業に入ったというのですから驚きです。人生の転機は何処にあるか分かったものではありません。言い換えれば新聞の書評というのはそれだけの力を持っているということなのでしょう。それがまた朝日新聞だったというところに氏と朝日新聞との因縁を感じざるを得ません。

 「小説を書くということは、料理を作るのと似てる」とこの本のエッセイの中で氏は書いていますが、これには妙に納得していまいます。確かに料理もセンスですからね。まあ、氏の創作にはきっちりとしたプロットが無く書き始めるというところには驚かされました。宮部みゆき氏は結末が崎に合ってそれに向かって書き始めるということを何かの本で読んだ記憶がありますが、内田氏の場合は大まかな筋立てはあるものの書くうちにストーリーがどんどん変わっていくというのはやはり珍しいタイプなのでは無いでしょうか。

 この浅見光彦シリーズの特徴は、軽井沢のセンセということで、自身が作品中に登場することです。映画なら原作者がほんのちょい役で登場するとかということはよくありますが、レギュラーのように作品に登場させる作家は珍しいのではないでしょうかね。そんなことで、このエッセイ集にも、最後に浅見光彦と軽井沢のセンセとの対談が収録されています。書かれたのが1995年ということで、細川政権が誕生したことやら、オウム真理教の話題なんかをふたりで話し合っているのですが、こういう遊びをやらかすことが出来るシチュエーションを持っているというところが他の作家には無い視点なんでしょうな。