東北地方太平洋沖地震の被災者の皆さんを元気づけるクラシック カルロス・パイタのブラ1 |
曲目/ブラームス
1.第1楽章 Un poco sostenuto - Allegro 13:06
2.第2楽章 Andante Sostenuto 8:48
3.第3楽章 Un Poco Allegretto E Grazioso 4:29
4.第4楽章 Adagio - Piu Andante - Allegro Non Troppo Ma Con Brio 16:42
指揮/カルロス・パイタ
演奏/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団
演奏/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1981、キングスウェイ・ホール
P:アンソニー・ホジソン
E:クロード・アシャレ
P:アンソニー・ホジソン
E:クロード・アシャレ
スイスLODIA LO-CD 779


震災からの復興を願うチャリティコンサートが各地で開催されています。ポップスのアーティストの反応は機敏なもので、あちこちからそういう話しは聴こえて来ますが、どうもクラシックのアーティストたちの反応はこういう時には弱い様な気がします。クラシックのコンサートに敷居を高く感じるのはこういう時でしょう。海外では、こういう事に関する反応が早く、丁度訪独中の佐渡裕氏は3月26日にデュッセルドルフ・トーン・ハレにてチャリティー・コンサートを開催しています。今回のコンサートを哀悼コンサートではなく、辛い状況の中で頑張っている日本人を勇気づけるようなコンサートにしたいとの強い意向です。その為、プログラムはベートーベンの交響曲第9番と選曲し、休憩時間には日本と被害者の方々に思いを向ける機会が設けられていたようです。なぜ、日本ではこういう事が出来ないんでしょうかね。これでは、クラシックはいつまでたっても一部の高尚な人々の慰み音楽の域を脱しない様な気がします。残念でなりません。そんなこともあり、今日は元気をくれるカルロス・パイタのブラームスを取り上げます。
ルロス・パイタについては以前ベートーヴェンの「英雄」を取り上げた事があります。2008年にこの記事を書いた時は新譜も途絶えていてロディアは倒産したと書きましたが、どっこい2010年突然、新譜が2枚発売されていました。休眠という表現が正しかったのでしょうかね。ただ活発な活動を続けているかというとそうでもないようです。ここに紹介しているブラームスの交響曲第1番は品切れ状態で、再プレスもされてないという事ですから実質廃盤状態のようです。まあ、彼も既に80歳を超えていますから新譜もほとんど来す出来ない様な状況です。かなりの資産家らしく、自前のレーベルからの発売ですからどうもプライベート盤的な匂いがぷんぷんとします。
昔から爆演型の指揮者と言われていましたが、ここでもそういう特徴は失われていません。このブラームスの1番はいかにもパイタらしい個性があふれていて、本当はもっといろんな人に聴いていただきたいのに、実際に「オススメ」していいのか躊躇してしまうほどの爆裂演奏となっています。パイタ唯一のブラームスですが、ドイツ的な重厚な響きを期待するとあっさり裏切られます。録音データ的にはデジタル録音ですが、録音スタッフはこのレーベル独自らしく、どうもお抱えスタッフの様な気もします。しかし、ここで捉えられているサウンドはいかにもナショナルフィルの音だなあと思ってしまいます。弦の響きが軽いんですね。特にヴァイオリン群の響きはそういう感じです。ただ、低弦は逆にゴリゴリと響かせておりそういう所はパイタの個性の現れかも知れません。そんな事で、軽さと重厚さが妙なバランスで共存するというブラームスになっています。
第1楽章はそんな出足で、ティンパニの打ち込みは強烈ですが乾いた響きで重量感はありません。テンポはやや快速でそういう部分でも重厚さは感じられません。ただ、推進力はすばらしくネルギッシュな指揮ぶりにぐいぐいと引きずり込まれます。これはパイタのバトンテクニックでしょう。正統的な演奏で、こういう踊る様なリズムの演奏をされると引いてしまうのでしょうが、そういう先入観なしでこの演奏と向き合う事の出来た幸せな人(?)は、かえって新鮮に聴こえるのではないでしょうか。熱く燃えるというという演奏にこういうアプローチの仕方もあるという見本みたいな演奏でしょう。テンポは結構揺れます。そういう部分ではフルトヴェングラーの様なロマン的な表現の痕跡を見て取る事が出来ます。若い頃にはそのフルトヴェングラーに陶酔していたという事ですからさもありなんという気がします。
アンダンテ・ソステヌートの第2楽章。ここでも、しっとりという表現にはほど遠い演奏が響いて来ます。とても流れる様な流麗な演奏というものではありませんが、それでも第1楽章の対比では心休まる響きです。まあ、相変わらずコントラバスあたりはゴリゴリという無骨な響きがしますがご愛嬌でしょう。この楽章はヴァイオリンのソロが聴き所ですが、そこはコンマスのシドニー・サックスの奏でるシルキーがかった美しい響きが堪能出来ます。これがこの演奏の一服の清涼剤となっています。
続く第3楽章もラテン的な明るさに包まれたウン・ポコ・アレグレット・エ・グラチオーソの響きです。ただ「優雅に」という表現はここでは取られていませんけれどもね。まるでムードミュージック・オーケストラが奏でる様な演奏です。書道でいうなら江戸勘亭流の様な骨太の表現です。止めと撥ねがびしっと決まった豪快なものです。特に最後のコーダの表現はそういう雰囲気にぴったりの演奏に仕上がっています。
パイタの表現の中にはブラームスの室内楽的小宇宙は無いようです。まるで宇宙のビックバンを表現している様な外に向かってエネルギーを放射している演奏です。何処までも豪快で、低弦のうなる様な重厚な響きに支えられて金管が咆哮し、ティンパニの連打がそれに追い討ちをかけます。始めから終わりまでひたすらエネルギッシュな演奏を聴いていると、いささか聴く方も疲れて来ます。しかし、聴く方の心理状態で落ち込んでいる時にこういう演奏を聴けばこれは明らかに元気を貰える演奏でしょう。「ブラ1はやっぱり激しく燃え上がらないと」と言う向きの人は、きっとこのパイタの演奏も楽しんでいただけることでしょう。
インテリのクラシックファンには聴いてもらってもしょうがありませんが、こういう演奏を聴いて元気をつけてもらいたいと思い、その演奏から第1楽章と第四楽章をここに貼付けておきます。少しでも、被災者の皆さんがこの演奏を聴いて元気になってもらえたら幸いです。
第1楽章
第4楽章