ウエザ・リポート | geezenstacの森

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ウエザ・リポート

著者 宇江佐真理
発行 PHP研究所

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 台所の片隅を書斎として執筆をする毎日。やわらかくも鋭い視線で切り取った日々の徒然を、10年にわたり書き綴った初のエッセイ集。---データベース---

 またまた宇江佐真理さんです。タイトルが洒落ています。でも、ウェザー・リポートではないんですね。もともと、宇江佐というのはこのウェザーからもじって付けたペンネームだということをこの本で明らかにしています。あたしゃ、この本を手にするまでは、てっきりロック・グループの「ウェザー・リポート」のもじりかと思っていました。何となれば宇江佐真理作品には「黒く塗れ」とか「雨を見たか」なんて洋楽ファンならどこかで聞いたタイトルだなぁ?なんて思ってしまいますからね。

 本名は伊藤香、函館市生まれ。函館大谷女子短期大学卒業。OLの後、主婦。団塊の世代の人で、1995年「幻の声」でデビューしています。言わずと知れた「髪結い伊三次捕物余話」の最初の作品です。46歳でデビューという遅咲きですが、その後の活躍は目覚ましいものがあります。この「幻の声」でオール讀物新人賞を受賞しています。他に
2000年「深川恋物語」で第21回吉川英治文学新人賞。
2001年「余寒の雪」で第7回中山義秀文学賞。
となっていますが、直木賞候補には実に6回上がっています。その都度、時代考証が甘いとかいって切り捨てられています。しかし、賞とは無縁ながら一般読者は宇江佐真理さんを支持しているのですから、選考委員たちはどこか視点がずれているんじゃないでしょうかね。受賞して、今日までコンスタントに作品を残している人が一体何人いるのでしょうか?。賞は一発屋の山師を発掘する場所じゃなく、これから先を見据えて書き続ける才能がある人かどうかを見極める場であってほしいと思いますが如何なもんでしょう。

 さて、本題のこの一冊、これは1977年から2007年までに、新聞、雑誌等に書いたものを集めたエッセイ集です。文庫化に当たっては「笑顔千両 : ウエザ・リポート」(文春文庫)とタイトルが変わってしまっていますが、内容は一緒です。

 団塊世代の人ですから親近感があります。同世代の人ですからねぇ。そして、地元を愛する函館のおばちゃん(ほめ言葉です)です。作家と入っても、どちらかといえば日曜作家みたいな書き方で、本が売れて得たお金は息子たちの学費になったとか。最近ではご主人とは年に二回ほどパック旅行(ただし日本国内限定)をするふつうの主婦で、旅行の際にはこっそり小説のネタを取材するそうす。日々家事をこなしながら未だに台所の片隅で執筆されてるというてんも親しみが持てます。こういうタイプの作家は、夏樹静子さんもありますが、彼女よりもぐっと庶民的なのがこの本から読んで取れます。

 収められたエッセイのうち、いちばん古いのは平成9年/1997年。というから、「幻の声」でのデビュー直後です。この本ではいろいろ裏話が登場しますが、このデビュー作のタイトルと、それに続く「暁の雲」「赤い闇」って、ウィリアム・アイリッシュ(別名コーネル・ウールリッチ)の名作群の題名に由来してたんですねぇ。ちなみに「幻の声」は「幻の女」だそうです。

 はじめての直木賞候補、第117回のときの様子は、本書冒頭の「から騒ぎ」で描写されています。他のさまざまなエッセイに、宇江佐さんの日常風景が充満しているだけに、やはりここでは“直木賞”が一般家庭を襲う異常さが際立っています。
 
 「私は夕食の準備で忙しく、エプロンを取る暇もなし。続々と訪れた新聞記者に「宇江佐さん、エプロン姿いいですねえ、いかにも主婦という感じで」とお世辞を言われたら取れるものか。近所の鮨屋の大将は出前を届けに来たまま居座る。お、おれ、こういうの初めて。馬鹿、私だって初めてだい。NHK、時事通信社、共同通信社、ええい、あとはわからぬ。十六畳のダイニングは人でいっぱい。座っていた椅子を退かすと下は埃でいっぱい。私、あせって雑巾掛け。その時に電話がルルル……。」(「から騒ぎ」より)

 ただし、ご本人は新人賞が欲しい、どこかの出版社から単行本の一冊なりとも出したいという希望はあったがそれ以上は望んでいなかったということを別の「またしても・・・」という一文にしたためています。この宇江佐真理さんの候補作の寸評は、こちらに一覧になっています興味のある人は覗いてみてください。厳しい批評の目にさらされていますが、それもこれも話題作だからでしょう。

 ところで、この本の端々から小説家仲間(?)かとの付き合いはほとんどないことが語られています。今時の作家は作家を気取りすぎて、こういう異端児的な作家を受け入れない所があるのでしょうか。作家という世界も了見が狭いものですなぁ。宇江佐真理さんみたいに地に足の着いた仕事をしないと、すぐに時代遅れになって忘れ去られてしまうという事態になることに気がついていないのかもしれません。

 さて、時代小説に時代考証は確かに必要でしょう。でも、小説というのはあくまでフィクションの世界ですからそれに縛られてしまっては本当の面白い話は書けないのではないでしょうか。小生のバックボーンはSFですから、科学としての知識はそれなりに必要ですがあとは想像の世界です。宇江佐真理さんの作品には、その自由な想像の世界があります。先に紹介している「「あやめ横丁の人々」なんかその典型です。こんな町、江戸の何処を捜してもありません。そこで繰り広げられる人間ドラマはですから宇江佐ワールドである訳です。それを楽しめばいいのであってやれ時代考証のここが違うとか、仔細を突ついてみてもはじまらない様に思います。何となれば、小生はこの作品で宇江佐真理さんの作品に足を踏み入れてしまったのですから・・・

 当たり障りの無い、普通のエッセイ集とはちょっと違うのもこの本の魅力です。新聞社の記者をこき下ろしたり、親友と絶交したりとハラハラする様な事柄がさらさらと書かれています。普通の作家ならちょっと気が引ける様なこともスバッと書かれていて、反って作者の裏の無い正直さに惹かれてしまいます。でも、こういう性格、敵も多いのだろうなと心配してしまいます。

 ところで、先日読了した「深川恋物語」はブログの中では触れませんでしたが、横浜CD文庫というところから朗読CDが発売されています。このエッセイでも紹介されている「凧、凧、あがれ」は、時代小説ではありますが、原作の元になるエピソードがあって、小説では西瓜の凧を揚げていますが実際には苺の凧であったことがあきらかにされています。(虚実皮膜の間)。またこのストーリーは「入試問題」というエッセイでも登場し、この作品が問題文として出題されたら作者でも明確な回答が出来ないということで断った経緯が書かれています。そう、今この朗読CDを聴きながらこの一文を書いているのです。何度聞いてもほろりとくる作品です。

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 この本最後は宇江佐さんの読書三昧という章で締めくくられています。そこには藤沢周平の名があり、諸田玲子さんの名が挙がっています。うーん、ひょっとしてそっちにも手をのばすかもしれません。